フランス事情

                                                       
コーナン ミシェル神父

 昨年三年ぶりにフランスに休暇で帰った。50年も会わなかった侍者会の友人の自宅で、日・仏の社会変化について意見交換をした。私は神戸港に上陸した時と現在の日本の社会が変わったことを説明した所、彼は現在のフランス社会の傾向について話してくれた。
 先ず、若者の結婚。伝統的な教会での結婚式はあるが、市役所届けだけ或いは届けさえせずに結婚生活をおくる人は増えるばかり。その上、二年三年夫婦の生活をして別れてしまう傾向も強いらしい。
 次に司祭について。彼の住んでいる小さな町では司祭はそれほど忙しくない。昔は、伝統的に村ごとに信徒たちは日曜日のミサに与ったが、年を取り教会まで足を運ぶのが難しくなった。若者は毎日曜日来ない。さらに、司祭に昔のような小教区のマネージャーの責任はない。司教団の方針で、ミサ・秘跡のような司祭職が要求される責任以外、小教区の運営・聖歌隊・教会学校・社会福祉・祈りの集い・ミサなしお葬式などの責任は信徒たちの手にある。地方では、数か所の司牧をする司祭が殆どだが、責任者と言うよりも奉仕者と呼んだ方が良いかもしれない。
 こうした風潮の中、信者として結婚講座を受け、深い準備をして、その後教会或いは社会で、信仰をもって証する若者も育ってきているらしい。また、青年たちが月一回ミサを準備し、誰でも参加できるミサは、活気があって、喜びにあふれていると聞いた。
 フランスの教会は変わってきた。聖霊の働きか?教会離れに対する清めの恵みか?私が受けた印象として、司祭は昔のような社会的義務がなくなって、ミサなど喜びにあふれた信仰の行為のみに関わるように変わってきたという強い印象を受けた。でも、慣れていないから、フランスで〃変な外人〃だった!







カトリック夙川教会のホームページに戻る



インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by shukugawachurch | 2012-02-05 00:00

呼びかけよう 一人でも多くの人に

                                                       
ペトロ 梅原彰神父

 新年明けましておめでとうございます。昨年は東日本大震災による大きな犠牲者が出て、重苦しい一年でした。今年は少しでも被災者が希望をもって前向きに歩んでいけるよう協力していきたく思います。経済界は不景気で政治も混乱し、明るい光はなかなか見えて来ません。しかし私たちキリスト者にとって、こんな時こそ、ちょっと立留まって、人生の生き方を見直すチャンスにしたいと思います。今年な聖堂建堂80周年、教会誕生90周年の節目の年です。この記念の時にあたって聖堂耐震工事も一月から始まり、色々な企画が進められています。私たち夙川教会は二千人の信徒がいますが、残念ながら教会から遠ざかっておられるか、信仰から離れた方々も大勢おられます。私たちはその方々が何故教会に来られなくなったのか、まず私たち自らが反省しなければなりません。私たちの冷たい言葉や態度が躓きを与えたのではないでしょうか。ある方は教会に行きたくても、病気や高齢のため行くことができない状態の方もおられます。ある方は自分が元気でも家族の中に病人や高齢者をかかえ、その世話に縛られている方もおられます。ある方は生活苦のため日曜日も働かざるを得ないのです。私たちはこのような方々に同情せざるを得ません。私たち教会共同体みんなが自分の地区の方々に関わっていくことを今年の目標にしたく思います。そのためには一人の地区の信徒が教会に来られていなければ、声かけをして関心を持つことです。代父や代母の方々も自分の役割を自覚して、受洗した方に暖かいアプローチが必要です。そのために手紙や電話、メール等を使いましょう。もしできれば家庭訪問もしてあけてください。地区集会を地区委員の方は積極的に持ち、信徒同志の横の繋がりを大切にし、信徒間の情報も密にしていただきたく思います。キリストは「百匹の羊を持っている人がもし一匹の羊を見失ったならば、九十九匹の羊をそこに置いて、見失った一匹の羊を探しに行く。」と教えられています。この言葉は司牧者である司祭に云われたことばですが、同時に共同体である兄弟姉妹に対しても当てはまります。その意味で教会から離れている人を一人でも多く迎え入れることができますよう努力しましょう。







カトリック夙川教会のホームページに戻る



インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by shukugawachurch | 2012-01-01 00:00

「待つ」ことの意味

                                                       
マルセリーノ 春名昌哉神父

 私たちは今、待降節を過ごしています。人となられたキリストが私たちの元へ来てくださるのを待っています。
 ところで、待降節の「待つ」という言葉には二つの意味があります。一つ目は最初に触れたようにキリストが私たちの元へ人となられて来られるのを「待つ」こと、そしてもう一つは終わりの時にキリストが再び私たちの元に来られるのを「待つ」ということです。
 この時期、私たちはふさわしい心で降誕節を迎える準備をします。それは同時にキリストの再臨を待つための準備をすることでもあります。キリストは地上に来られ、私たちが自らの罪を認め回心し、神の元へ立ち返ることを望まれました。主はそのために私たちが何をなすべきかを示してくださいました。
 待降節に私たちがふさわしい心を準備して「待つ」ということは、このキリストが示してくださった道を再確認し、主に従う心を新たにすることです。それは自己中心的に生きることではなく、神の望みを私たちがこの地上に実現していくための歩みです。神が私たちに何を望んでおられるのか、そして私たちが何をなすべきなのかをみ言葉によって黙想し、識別する必要があります。私たちの周りにおられる最も小さな人々の中にキリストを感じ、その人々のために自分ができることを精一杯行うよう心がけ、そしていつ主がこられてもいいように、私たちの心をふさわしく準備しながら待ちましょう。
 2011年も今月を残すだけとなりました。今年1年、神から与えられた豊かな恵みに感謝しつつ、新しい年もまた神の恵みの内に生きることができるように祈りましょう。そして私たちが神からいただいた恵みを自分だけのものにすることなく、多くの人々とその喜びを分かち合い、共に支え合い、助け合って生きる決意を新たにいたしましょう。






カトリック夙川教会のホームページに戻る



インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by shukugawachurch | 2011-12-04 00:00

聖書を読もう

                                                       
ペトロ 梅原 彰神父

 聖書は永遠のベストセラーと呼ばれています。昔から現代に至るまで大勢の人が聖書を熱心に読んできました。聖書を読んで人生観が大きく変った人も少なくありません。聖書は世界中の色々な言語に翻訳されてきました。しかもそれが一回だけでなく、同じ言語の新しい翻訳が次々と出されているのです。このたびフランシスコ会から旧約・新約の聖書が原文から翻訳され、発表されました。翻訳には50年の歳月がかかりました。翻訳者のご苦労を思うと頭が下がります。注釈があるので初めて聖書を読む人にも大変読みやすく解りやすいと思います。イエス・キリストを信じ、心の糧として聖書を読み、ミサ聖祭の中で聖書を聞き入った人々がいたからこそ聖書は今、私たちの手もとにあるのです。聖書は私たちの宝です。私たちは聖書をよく読むことによって、イエスの教えや考え方を理解し、キリスト教的価値観を深めていく必要があります。聖書を何度も読み返すことによって、聖書のみ言葉が心地よくメロディーとなって響きを与えてくれます。そして私たちが日常生活の中で、色々な問題に直面した時、自然とその言葉が思い浮かび、その問題を解決する力となります。イエスの生き方が浸透して来た人こそ、人生の色々な出来事に対して、イエスのような生き方に近づいて行くことができるのです。ヒエロニムスという、古代教会の有名な聖書学者は「聖書を知らない人はキリストを知らない」と断言しています。聖書を読むと、イエスがいつでも父なる神と共にいることを意識しながら、話したり行動したりしておられるのが分かります。私たちも聖書を読むことによって、イエスのように、神と共にいることを意識すれば、心はなごみ大きな安心感が得られます。又私たちはイエスが祈られたように祈りたくなってきます。人は神に向って心を開くための時間をもうける必要があります。イエスは「祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」(マタイ6・6)と言われました。イエスご自身、荒れ野に退き、40日間祈りに没頭されました。又しばしば弟子たちから離れて山に登り祈られました。私たちも祈りを通してイエスと共に生き、共に歩んでいきましょう。





カトリック夙川教会のホームページに戻る



インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by shukugawachurch | 2011-11-06 00:00

ワールドユースデーへの誘(いざな)い

                                                       
マルセリーノ 春名昌哉神父


 8月15日から24日まで、スペインのマドリードで行われたワールドユースデー(Warld Youth Day)に参加しました。私にとっては16年前のマニラ大会に参加して以来、本当に久しぶりのワールドユースデーでした。16年前は青年として、今回は同伴者としての参加でした。
 ワールドユースデーは前教皇、ヨハネ・パウロ二世の呼びかけで1985年に始まり、それ以来2.3年ごとに開かれてきました。毎回世界各地から大勢の青年たちが参加します。私が参加したマニラ大会には約400万人、今回のマドリード大会は約200万人の青年たちが集まりました。教皇様を中心として青年たちが集まり、祈りとカテケージス、分かち合いを中心にして交わりを深めていきます。
 今回も世界各国の青年たちと豊かな交わりの時間を持つことができました。言葉の壁は存在しますが、同じキリスト者として信仰によって深く結ばれている、教会は一つであることを肌で感じることができました。そこで出会った多くの青年たちが私たちに、「日本は大丈夫ですか「復興はどのぐらい進んでいますか」「私たちも日本のためにお祈りしています」という温かい言葉をかけてくれました。世界の人たちが日本のことを心にかけてくれていることを、本当にありがたく感じ、力づけられました。
 このような出会いを通して青年たちは、自らの信仰と向き合い、それを深めていきます。私も16年前に同じことを感じました。もし、マニラ大会に参加していなければ、私は果たして司祭になっていただろうかと思います。それほどの大きな体験を青年たちはワールドユースデーから得ることができます。
 次回のワールドユースデーは2013年7月にブラジルのリオデジャネイロで開催されます。次の世代の教会を担う青年たちが、一人でも多く参加してくれることを望んでいます。彼らがワールドユースデーに参加することによって、キリストに従って歩む心をより豊かなものとすることができますように。






カトリック夙川教会のホームページに戻る



インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by shukugawachurch | 2011-10-02 00:00

< 前のページ 次のページ >