カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

少年の夢

                                                       
加古川カトリック教会 主任司祭 赤波江 豊

 司祭になって間もない八月、ドイツの恩人を訪ねて行ったことがあります。その時乗った飛行機の隣の席に、学生らしき人が座っていました。どちらからともなく話しかけているうちに、彼はその年、当時の神戸商船大学を卒業して、これからドイツのブレーメンに留学に行くところだと話してくれました。

 彼が言うには、「私は子どもの頃から船が好きで、よく父親と一緒に神戸港に船を見に行っていました。やがてどうしても船の勉強がしたくて神戸商船大学に入りました。そこは全寮制で生活も厳しく、私はもともと体が小さく痩せていましたが、体型が変わるくらい鍛えられました。大学卒業後、もっと船の勉強がしたくてドイツのブレーメン大学に行くことにしました」。彼の話を聴きながら、彼の表情には何とも言えない爽やかなものを感じました。そして彼は「子どもの頃の夢を実現できる人は幸せです」と付け加えました。彼は神戸の須磨区の人でした。今、彼はどうしているのでしょうか。きっと充実した人生を送っていることでしょう。

 「子どもの頃の夢を実現できる人は幸せです」。彼が語ってくれたこの一言は今でも私の脳裏にはっきりと記されています。私はよく子どもたちに将来の夢について尋ねることがあります。その時、必ず彼の言葉を繰り返します。子どもたち、夢をしっかり持ちなさい。夢は必ず叶います。確かに自分の願っていた仕方で夢が叶わないこともあります。でも、それは挫折でも失敗でもない。新しい発見です。夢を抱いて費やしたエネルギーが無駄になることは決してありません。夢を抱いて生きる人は、たとえ自分が願っていた仕方で叶わなくても、それまで費やしたエネルギーを無駄にしたくないという思いから、必ず新しい道を再発見します。そうやって充実した人生を送っている人は無数にいます。確かに「子どもの頃の夢を実現できる人は幸せです」。でも、「夢を持つ人はすでに幸せな人です」。子どもたち、夢をしっかり持ちなさい。

2014年11月から夙川教会でご指導くださいました赤波江 豊神父様は、2017年6月より加古川教会主任司祭に転出されました


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# by shukugawachurch | 2017-07-01 00:00

夙川教会と典礼

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コーナン・ミシェル 神父



 わたくしたちの聖堂は、夙川駅から近いですし、また、外から見てもとても美しいですから、お天気の良い日など、カメラを持った方々の憧れの対象です。洗礼の恵みをまだ受けていない方々でも、自分たちの結婚式をこの聖堂で行いたいと望むカップルは、少なくないのです。

 さて、カトリック教会の典礼では、目と耳と心の調和が大切です。

 まず、耳においては、阪神大震災によってせっかくのパイプオルガンが壊れてしまったのは、残念なことでしたが、現在のオルガンでも、オルガニストの方々が、美しい音色でわたくしたちを祈りに上手く導いてくださっています。たまに赤ちゃんが自分なりの声を出して神様を賛美するようですが、守護の天使に勧められたのか、許されたのか、そのような声さえ、さまざまな人の存在を思い、祈ることになります。

 次に、目においては、聖テレジアはわたくしたちと一緒に祈っておられるようなしぐさで、ミサに参加してくださるようになりました。主日の日曜日、少しずつするべきことを覚えた侍者の子どもたちは、積極的にミサの役割を果たしてくれています。もちろん、担当司祭も参加者とともに祈り、共同体の一員として、自分の役割を果たしております。皆さんが内陣の祭壇上での典礼を見てくださることで、心が一致してゆきます。

 最後に、心においては、ミサの間、沈黙を守るべきところがあります。それは、個人的に感謝の祈りを深くするべき時を意味しています。聖霊の働きによって、深く神に語りかけ、結ばれ、感謝する時なのです。(感謝できない人は、もっと執り成していただけるよう祈りましょう。)祈りのうちにありがたい恵みをいただく時なのです。

 現在、内陣の右側に、大きな木のピエタが置かれています。ブスケ神父の時代、神戸の居留地に建てられた「悲しみの聖母」に捧げられた教会の入口の上に掲げられたアーチ状の飾り(タンパン)です。1870年くらいのものではないかと思います。このピエタは典礼的なものというよりは、もっと歴史的な価値が現れるところで、なお一層、価値を発揮するのではないでしょうか?

聖堂は祈りを捧げる場所、恵みをいただく場所、人間が神に出会う場所ですから、わたくしたちは、先輩方が黙想のうちにイメージし、作り上げた聖堂を大切にしたいものです。先輩司祭や信徒の方々が、天国から執り成し続けてくださっているでしょうから、わたくしたちは、聖堂を祈りの場として、聖人の歩まれた道に倣って、歩んでまいりましょう。



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# by shukugawachurch | 2017-06-01 00:00
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ヨセフ 赤波江 豊神父
 私は12年前からタイと関わっており、毎年神学生や大学生を連れてタイ北部の山岳民族の村を訪問しています。タイ北部の山岳地帯には伝統的に山岳民族と呼ばれる人たちが住んでいて、主に農耕に従事しています。カレン族、アカ族、モン族、ラフー族など10以上の部族があり、それぞれ言語も違います。実はこれらの山岳民族の中にはカトリック信者が多く、村全体がカトリックという所もたくさんあります。今年は2月27日から3月9日まで北部のオムコイ市から車で2時間ほど行ったカレン族のナキヤン村を訪問しました。この村は戸数50戸。村には教会があり、カレン人の司祭がいます。参加者は10名で、夙川教会からは2名の信徒と大学生が参加しました。日本語はもちろんのこと、英語も通じない村で手作りの簡単なカレン語ガイドブックだけをたよりに悪戦苦闘の毎日でしたが、結局参加者全員が体験できたことは、言葉は分からなくてもコミュニケーションできるということでした。特に子どもと遊ぶのに言葉は不要です。日本にいる時はあまり子どもたちと遊ぶイメージのなかった青年たちが村で純粋に嬉しそうに子どもたちと遊んでいる姿は、輝きそのものでした。そして村人と私たちとの最高の接点は同じ信仰を持っているということでした。村には信徒自らの手で建てた美しい教会があり、そこで毎日同じミサに参加して共に祈り歌い、特にカトリック聖歌の「あめのきさき」をカレン語と日本語で歌った感動は今でも心に残っています。私たちにとってこのような村の訪問はまさに巡礼でした。一見何の変哲もない山の中の村、でもそこに神と神を信じる人たちがいるのですから。村の広い棚田の中にたたずんで青い空、緑の山並みを見つめた時には同じ光景でも日本では感じられないもの、即ち時空を超えて悠久の歴史の中にいる自分、即ち大きな神のみ手のなかにいる自分を実感しました。ナキヤン村の人をはじめ、山岳民族の人たちは非常に控えめで穏やかで親切です。生活は日本と比較すれば非常に質素ですが、彼らは自分たちが決して貧しいとは思っていません。衣食住充分満ち足りていると思っています。実際金持ちではありませんが、豊かに暮らしています。だから皆穏やかなのでしょうか。参加者全員一人ずつ村の家庭に8日間滞在し、村人の普段の生活と全く同じ生活を体験しましたが、全員感じたことは「何もなくても充分幸せだ」の一言でした。「便利だが人間が希薄な社会」と「自然のなかで不便だが人間が豊かな社会」のどちらが幸せでしょうか。これは一言では答えられない、またどちらかを簡単に切り捨ててはいけない質問ですが、今回の参加者特に若い青年たちがこれから生涯問い続けなければならない課題「幸せとは何か」にチャレンジした体験になったことでしょう。


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# by shukugawachurch | 2017-05-01 00:00

キリストの受難と復活

                                                       
ペトロ 梅原 彰 神父




 今年の復活徹夜祭の中で16人の方が洗礼の恵みを受けられます。心よりおめでとうと申し上げます。私たち共同体の仲間が増えることは大変嬉しいことです。最後までキリストの光に照らされ、信仰を全うされるようお祈りします。

 私たちは復活祭の喜びを味わう前に四旬節を過ごします。キリストは私たちの救いのために苦しみ、十字架につけられ、いのちを犠牲にされるほど私たちを愛してくださいました。私たちはキリストを思い、心を痛めます。

 私は二年前、二回目の膵臓がんの手術を受けた時に腸閉塞になり、二回目の開腹手術を受けました。ちょうどその時、水も飲めず、もちろん何も食べられず、点滴だけで四十日を過ごしました。ちょうど四旬節と受難節の時でした。私はキリストが荒れ野に退いて、四十日四十夜、祈りと断食のうちに過ごされたことを思い起こし、これはお恵みだと思いその苦しみを受容しました。今は退院でき、生かされていることを感謝しています。

 教会も四旬節受と難節を経て復活祭の賛歌を歌い、四十日ぶりにアレルヤを力強く歌うのです。キリストは死に打ち勝って復活されました。今も復活されたキリストは、私たちとともに日々を過ごしてくださっているのです。私たちは喜びと感謝のうちに、生きておられる復活の主との出会いを体験できるのです。復活したキリストの姿は時間や空間を超えたものです。弟子たちはキリストが本当に生きているということを復活したキリストから知らされたのです。

 パウロは「キリストは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちを正しい者とするために復活させられた」と書いています。
 キリストは復活して四十日後に昇天されましたが、この世との関係を断って遠く離れたところへ行かれたのではありません。キリストは最後の晩餐で「わたしは去っていくが、また戻ってくる」と言っておられます。復活したキリストはこの世で人々とともに生活した時以上に、ずっと身近で、現実的な存在として、現在も私たちと一緒に人生を歩んでくださっているのです。




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# by shukugawachurch | 2017-04-01 00:00
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コーナン ミシェル 神父

 カトリックの聖堂はどこでも、優れた聖人が一人選ばれて、保護者となっております。たとえば東京麹町の聖イグナチオ教会は、イエズス会の有名な教会です。私たちの夙川教会は、以前は司教座でしたが、その保護聖人は若くして天に召されたフランスのリジューの幼きイエズスの聖テレジアです。

 第二バチカン公会議後、私たちの聖テレジアのご像は降ろされて長らく告解室の横に置かれました。久しぶりの聖堂でその様子を見て、聖テレジアがどんな悪いことをして降ろされるほどの罰を受けたのかと、不思議に思いました。

 最近、個人的な出会いや評議会で聖テレジアのご像について話し合い、アルコーブに戻しても良いだろうとまとまりました。聖テレジアは23歳で召された若き聖人ですから、専門家に任せて、像の右手の傷や顔などをきれいにしてもらいました。心だけでなく姿美しい女性として、ご像の聖テレジアは、私たちの捧げる祈りを聞いて受け止めて、美しいバラの花を贈ろうとしています。

 聖女として永遠の中に生きておられる聖テレジアは、私たちのために絶えず祈ってくださいます。右の手に持っておられるバラの花は、私たちの祈りを執りなしてくださった結果として神様のくださる恵みでもあります。

 皆様のくださった時間と経済的な助けのおかげで、私たちの保護者としての聖テレジアの優れた様子を再び仰ぎ見ることができるようになりました。だからこそ、私たちはより深く夙川小教区の発展を保護の聖人聖テレジアに祈り求めようではありませんか。先輩ブスケ神父が祈ったように。洗礼志願者が増えるように。今洗礼の準備をする志願者や私たちが神様の恵みによって清められるように。私たちの聖堂が聖なる巡礼地になるように。

 聖テレジア、私たちのために執りなしてください。


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# by shukugawachurch | 2017-03-01 00:00