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カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

旅人と他国人

                                                       
カスキーリョ・マルコ神父

 1月6日に主のご公現をお祝いしました。東の国から3人の博士たちが、星に導かれて長い旅をして、お生まれになったばかりのイスラエルの王を拝みに行きました。それは旧約の預言を実現するためでした。
 ポルトガル・スペイン巡礼の旅は、イベリア半島の様々な教会、カテドラル、マリア様の聖堂に行きます。カトリックの歴史の尽きることのない素晴らしい宝を体験するという目標もあります。キリスト教の最大の遺産の一つは、ローマ教皇からポルトガルの王達に「最も忠実な国王陛下」という名が与えられ、そしてスペインの王達には「カトリック国王陛下」という名が与えられたことです。
 巡礼の霊的な意味について書いてみたいと思います。列王記上(19・25)でダビデ王は、集まった人々の前で神を賛美して言いました。「われらは先祖と同様に旅人であり他国人なのです」。日々の地上の歩みは一つの方向を目指します。「体験するとは自分の足で歩むことだ」とスペインの哲学者オルテガ・イ・ガッセーも言っています。体験して歩むとは目標に向かって旅をすること。巡礼には肉体的な労力が求められ、疲れますが、深い霊的な意味があります。旅人は神の創造された自然の美しさ発見することができ、人に出会って助けられ、そして沈黙の中で歩むことで自分の人生を深く黙想することもできます。
 沢山の聖人達は、人生は神様に向かって巡礼することだと理解し、もっともっと神の存在との交わりを深く体験するために、ある場所を探し求めました。例を挙げれば、フランスの聖ロクがカトリック教会の中心であるローマへ巡礼し、ポルトガルの聖ゴンサーロは聖地エルサレムに巡礼をしました。そして、スペインの聖ホセマリアはあらゆるマリア様の聖堂を訪れました。たとえばルルド、サラゴサのピラールの聖母の大聖堂、フアチマへの巡礼などです。どの聖人にとっても巡礼にはある共通点がありました。それは自分の国を愛しながらも、同時に普遍的(カトリック)な心を持っていたことでした。他国に住みながら真の国、天国を探し求めているのです。
 巡礼はキリスト教だけの習慣ではありません。仏教、ヒンズー教、ユダヤ教、イスラム教、神道にもそれぞれの巡礼地があります。しかし、カトリック信者にとって巡礼は特別な意味があります。キリスト教の巡礼は4世紀に遡り、当時、聖ヒエロニムスが大いに勧めました。(記録に残っている)最初の巡礼者は、信じられないことに、女性でした。多分テオドジオ皇帝の家族に属していたと考えられるエヘリアと名乗る修道者です。当時、女性がスペインから、シナイ山、ベトレヘム、ホレブ山、タルソ、シリアなど、長い巡礼の旅をするのはたいそう困難だったでしょう。一体、何年ぐらいかかったのでしょう。沢山の危険にも遭ったでしょうが、見知らぬ土地で暖かく迎えられて感謝する彼女の姿が浮かんで来ます。彼女は深い信仰を持って、ほんとうの巡礼の意味を味わったことでしょう。聖書に示された道を歩んだと思います。信仰に促され、自分の限界も忘れて、高い目標を目指す力が与えられたのです。彼女は、他国人としての体験を生き、国々の言葉も分からず巡礼を続けました。道端で出会う見知らぬ人から助けてもらい、もてなされる必要がありました。
 私たちも今過ごしている所で、旅人として、他国人として過ごすことができれば素晴らしいと思います。 
 日本は海に囲まれた沢山の島からなる国です。退職すれば多くの方たちが旅行されますが、若い方たちが旅行するのは珍しいのでないかと思います。若い人たちも大いに旅行して、自分の道を発見すればいいなと思います。世の中を違った目で見ることができるようになります。今年はどのくらい若者たちがブラジルのWorld Youth Dayに参加するのでしょう。親たちは、自分の息子や娘は、英語・ポルトガル語ができないから海外の旅行は難しい、と言い訳するのでしょうか。現代はエヘリア修道者の時代とあまり変わりません。彼女も外国語が分からなかったけれど、勇気をもって巡礼し、私たちに素晴らしい旅の本を残してくれました。
 私たちの信仰の祖先であるユダヤ民族、聖人たち、信仰の先輩たちのように、神様のみ前では私たちは皆、旅人であり、今私たちが生活を送っているのは他国に過ぎないのです。






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# by shukugawachurch | 2013-02-03 00:00

不思議な星に導かれて

                                                       
ペトロ 梅原 彰 神父


 新年あけましておめでとうございます。昨年は教会創立九十周年、聖堂建堂八十周年の記念すべき年でした。「信仰年」に入った新しい年を迎えた私たちは、大きな希望と夢をもってスタートしました。イエズスがヘロデ王(B.C. 37 ~ B.C 4)の時代にユダヤのベツレヘムにお生まれになったとき、東方の三人の博士(天文学者)が不思議な星の導きのもとに、エルサレムにやって来て、「お生まれになったユダヤ人の王はどこにおられますか、わたしたちはそのしるしの星の昇るのを見て拝みにきました」と云った。しかしこの言葉は当時のユダヤ人の王ヘロデを大いに驚かせ、心配させました。ユダヤ人の王が生まれるとのニュースに接したとき、ヘロデ王は自分の地位を脅かすライバルの出現におびえたのです。博士たちは東の国アッシリア・バビロン・ペルシャの出身で、紀元前六世紀に滅ぼされたユダヤ民族の主要人物が捕らえられ移されたところでしたから、ユダヤ人の宗教についてはかなりの知識を持っていました。又イエズスの誕生前後のユダヤ教はあちこちにユダヤ教会堂をもち、海外への宣教に努めていました。ですから当時の人々は「ユダヤ人の王」としてお生まれになるかたの希望について、よく知っていました。その星がどんな星であったかについては教父、聖書学者、科学者などが色々な説を出していました。それが彗星だとも考えられます。何はともあれ、この星の現れは不思議な現象だったと考えられます。すなわち星に関する言い伝えを知っていた博士たちがこの星を見て、ユダヤの国に偉大な王が生まれたことを知ったのだと見ています。民数記24章7に「一つの星(高貴の人の生まれを象徴する)がヤコブから進み出る。ひとつの笏(王位の象徴)が立ち上がる」と。尚この不思議な星が博士たちを導いて幼児のいる所に導いてとどまったという。メシアを尋ねてはるばる旅した博士たちが都で、ついにその場所を教わり喜び勇んでベツレヘムの街道を進んでメシアの門前で足をとめた時、星も彼らの頭上にとどまり、祝福の光を明るく注いだのでしょう。博士たちは外国人ですからイエズスを、「ユダヤ人の王」と呼びましたが、実は彼らは決してこの王の支配をユダヤ人世界にだけに限られるものと考えていなかったでしょう。単なるユダヤ人の王としてだけだったらわざわざ苦労してベツレヘムまで来なかったでしょう。そうではなくイエズスという王は天の星まで喜び踊らせ、光を輝かせる世界的な王であると理解していたのです。世界的に影響を及ぼす大王の誕生に星の前兆は付きものでした。古代世界では一つの国に大王が生まれればそれはその国だけが平和に富み栄えるというだけではありません。ユダヤに素晴らしい王が生まれたという場合それはユダヤ出身の王がヘロデ王を失脚させて、同胞ユダヤ人に内輪の平和を与えるだけでなく、バビロンにもペルシャのも攻め込み平定し王になるということを意味しています。博士たちが何故はるばると旅し、いち早く王に敬意を表し贈り物を捧げようとしたのかという理由の一つがここにあります。それですから「ヘロデ王もユダヤ人の王として生まれ方」を「キリスト」神が救いのために任命した者を、彼は神がお立てになる真の王、救い主です。それで神の王の誕生予定地までミカ書に預言されています。「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者、お前の中から、私のためにイスラエルを治める者が出る」(5章6) 彼は単にユダヤ人だけが仕えればよいというような地上的民族的な王ではない。天の星も地上の人類もみなその誕生を喜び迎えるべき大王なのです。イエズスはまさにキング・オブ・キングスなのです。私たちの信仰年の旅は前途多難かも知れませんが、不思議な星の導きによって博士たちがイエズスに出会ったように、私たちも希望をもって、キリストに導かれてこの一年をみなさんと一緒に歩んでいきましょう。





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# by shukugawachurch | 2013-01-01 00:00
                                                       
ペトロ 梅原 彰 神父

 神の掟に反し罪を犯したアダムとエワに対し、神は慈しみの心を示し、将来メシアを遣わし、メシアを通して、人間を罪から解放し、メシアのもとに全人類を一つに集めることを約束してくださいました。そのため神は預言者を人類に送り、メシアの到来を具体的に教えてくださいました。イザヤ預言者はイエズスの誕生の七百年前に、「あなたたちにしるしを与える。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名はインマヌエル(神がわたしたちとともにいるという意味)と呼ぶ」と預言し、おとめマリアから生まれることを預言しています。ミカ預言者はメシアの誕生の場所について、「ベトレヘムよお前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る」と云っています。東方の博士たちが黄金、乳香、没薬の宝物を持ってくる(マタイ2章12)ことも、イザヤ預言者によって預言されています。「シェバの人々は皆黄金と乳香を携えて来る。」又メシアの誕生後メシアがエジプトに避難することについてはホセア預言者が「わたしはわたしの子をエジプトから呼び出した」と預言しています。ベトレヘムとその地方全体にいる二才以下の男の子が殺されることに(マタイ2章17)ついては預言者エレミアが「ラマで声が聞こえた。嘆きと大きな悲しみの声が。子らのために泣くラケルの声が。彼女は慰めを受けつけない。子らはもはやいないのだから。」イエズスの誕生の何百年前から預言者によって語られたことがすべてキリストのうちに実現していることを照らし合わせると、イエズスこそ神から預言されたメシアであることは明らかです。ただイエズスの誕生にまつわることだけではなく、その一生涯の主な出来事について、とくにその死と復活に関して、預言者によって預言され、それらがすべて、預言の通り実現していることは見事といわざるを得ません。神が全人類の誰かを遣わされるならば、いつどこでその使者が送られるかについて知らせてくださるのは当然のことではないでしょうか。私たちの社会生活でも誰かに重大な使命を託して、送る時には、前もって先方に派遣する人の名前や年齢等を知らせておくはずです。そして受け入れる側は、その遣わされた人と知らされた内容が一致すれば当然受け入れるのです。アメリカから新しい駐日大使を送るならばアメリカは前もってその氏名や略歴などは日本に知らせてくれるのは当然です。突然成田空港に外人が降り立ち、自分は大使だと名乗っても受け入れられません。それ程重大な使命を持った人が突然来ることは外交上あり得ないのです。イエズスは人類救済という大きな使命を託されたわけですから、その計画を実現されるまでに、神は準備周到に預言者を通して知らせてくださったのです。このように神のひとり子が人間になってくださるという神秘は二千年前に実現したのです。




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# by shukugawachurch | 2012-12-02 00:00

建堂80周年を祝って

 
耐震工事完成おめでとう                                             
主任司祭 梅原 彰

 九か月かけて行われた耐震工事も無事終了することができました。
 柄谷工務店、安井設計事務所の関係者のみなさんに深く御礼申し上げます。寒い日も暑い日も現場監督下さった皿海さんに心より感謝申し上げます。
 阪神淡路大震災より十七年目に念願の耐震工事を完成できたことは大きな喜びです。
 これで安心して祈り、ミサを捧げられます。


助任司祭 マルコ・アウレリオ・ダ・カスキーリョ

 ユダヤ人にはエルサレム巡礼という古くからの慣わしがあります。そのため、「また来年エルサレムで会いましょう」という言葉が、友人との別れの挨拶になっています。ユダヤ教では、エルサレムとは、友人や神様に逢える場所です。そしてそこは、真の家だと言えるでしょう。「主の家に行こう、と人々が言ったとき私はうれしかった。エルサレムよ、あなたの城門の中にわたしはたちの足はたっている」と詩編122:1-2に書いてあります。私たちキリスト教徒にとって、教会はまさにエルサレムです。そして教会は私たちの真の家なのです。私たちは毎週、教会にお祈りをしに、また、友達に会いに行きます。ミサの後、多くのみなさんは「また来週お会いしましょう」と言って、お別れするのではないでしょうか。夙川教会は、私たちにとってのエルサレムです。お互いにまた会うことができる、平穏と安らぎの場所です。夙川教会は1932年に建てられてから、多くの方々に受け継がれて今日に至る、神様から贈り物です。私が夙川教会を初めて見たとき、教会の美しさはもちろんのこと、毎週日曜日に集うみなさんの姿に深く感銘を受けました。みなさんの友情、おもいやり、仲の良さは、とてもすばらしいです。夙川教会80周年に際し、まず、このすばらしい教会をお与えになった神様に感謝します。また、建設に関わった方々の功績を賞賛するとともに、教会設立のためにご尽力された方々に感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。神様がみなさんを祝福して、この教会を守ってくださいますように。


80周年のお祝いと祈り
協力司祭 ミッシェル・コーナン

あなたの重荷を主にゆだねよ。
 主はあなたを支えてくださる。
          (詩55.23)

神よ、わたしは心を確かにして
 あなたに賛美の歌をうたいます
          (詩57.8)

神の幕屋が人の間にあって
 神は人と共に住み人は神の民となる
主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。
          (黙21.3, 22.21)




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# by shukugawachurch | 2012-11-01 00:00

十月はロザリオの月です

                                                       
ペトロ 梅原 彰 神父

 「ベルナデッタとロザリオ」(イエズス会・ラヴィン神父著)という本が1958年ルルドで聖母マリアがご出現になった百年日を記念する年に出版されました。この本が日本で紹介されるのはベルナデッタ列聖式の五十年目の時です。ベルナデッタのようにロザリオを信心深く唱えれば、聖母マリアを眺めながら神の子キリストの深い奥義、すなわち馬小屋に生まれ、カルワリオの十字架を経て、栄光ある復活と昇天までの主の生涯を毎日思うことになり、ベルナデッタと共に罪人のために祈ることになります。彼女はいつもロザリオの珠をつまぐりながら祈っていました。彼女にとってロザリオはその信仰、自分が受けた恵み、使命、自己の聖性と使徒的働きを確かなものにする道具でした。彼女にとってロザリオは神から与えられた霊的な生きざまを特徴づけるしるしだったのです。その生涯のすべては彼女がつまぐるロザリオの祈りのリズムに合わせて展開されていくのです。彼女の摂理的な召し出しはロザリオの祈り通してひとつの素晴らしい霊的な小道を私たちに示してくれます。彼女はすべての知識、すべての富、すべての宝としてロザリオの祈りと聖母マリアに対するひたむきな愛しか持っていなかったのです。ベルナデッタが生まれた粉ひき小屋から、ヌヴェール修道院にいたる道を辿ることによって私たちは驚くべき発見の道を歩むことになります。
 1858年2月11日(ルルドの洞窟で聖母マリアがベルナベッタに現れた日)彼女はロザリオを手にしていました。彼女はロザリオを手離すことは決してなかったのです。ご出現になった白い服を着た若い女の方(聖母マリア)の右腕にも同じようにロザリオがかかっていました。そのロザリオの鎖は黄色で珠は白く大きく、珠と珠の間は非常にあいていました、と語っています。彼女は次のように述べています。「その白い服を着た若い女性は唇を動かされませんでした。けれども詠唱の祈りの時には頭を下げロザリオを唱えておられるのがはっきりと見えました。」聖母マリアはベルナデッタに18回現れ「わたしは原罪なく宿ったマリアである」ことを彼女に話され、ロザリオの祈りを唱え罪人の回心のため、罪の償いをするよう呼びかけられてのです。十月はロザリオの月です。私たちも個人で、家族で、グループでロザリオの祈りを唱えたいものです。ロザリオは自分や家族のためだけではなく、罪人の回心のため、また亡くなった方々の救霊のために捧げることは素晴らしい愛のプレゼントになります。故田口大司教のお母さんが60年前ガラシア病院(大阪市阿波座にあった)に入院されていたころ、小神学生であった私(中学3年生)がお見舞いに行ったとき「私は毎日三環ロザリオの祈りをします。一環は私と家族のため、一環は息子田口司教のため、もう一環は煉獄の霊魂のために唱えます」と。私は司教様のお母さんがこのように祈りをもって司教様や多くの方々のために祈ってくださっていることを知って、感激しました。私たちも聖母マリアに心を合わせ、イエズスのご生涯を黙想しながらロザリオの祈りを唱えましょう。




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# by shukugawachurch | 2012-10-01 00:00