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カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch
                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父
イエス様は、ご自分が神様から出て、神様のところに戻ることを知っておられたので、自ら弟子たちの足を洗い、腰に巻いたタオルで足を拭き始めま
した。

最後の瞬間に見せてくださいます。
最高の愛は仕えることであることを。

十字架を控えた極限の状況で、神様は愛を見せるために弟子たちの足を洗います。
弟子たちと別れる瞬間です。
その愛する方がぼろぼろに傷だらけになっていくのを目にしながらも、助けられないまま見守ることしかできない、どうすることもできないという切ない気持ち。
弟子たちのその気持ちが伝わり、ご自分の不在により受けることになる苦痛を慰めようとしたイエス様の心です。

神様は喪失と悲しみの時間が訪れる前に、優しい愛で抱いてくださいました。
私たちが受けた恵み、私たちが体験した神様の愛、 それは現在の苦痛をうまく乗り越えようとあらかじめ施してくださった神様の愛のサインです。

イエス様が洗ってくださったその足でユダは神様を売り渡しに行くでしょうが、他の弟子たちは地の果てまで福音を伝える使命に耐えるでしょう。
その足を差別なく、きれいに洗ってくださったのです。

復活の人生を送りたいなら、愛することを遠い未来に延ばしてはいけません。
イエス様は裏切りの夜に足を洗ってくださり、ご自分の体を与えてくださいました。

ご自分が生き残ることをあきらめて、他人の命を救うためにご自分の命を差し出してくださいました。
「私」を消し、「世の中」を生かしたその愛は、あまりにもすさまじく涙ぐましいものです。

今イエス様が洗ってくださったその足で、皆さんはどこに向かっていますか?


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# by shukugawachurch | 2024-03-02 18:00

四旬節の黙想

                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父
私の人生に嵐があったからこそ、
主もとに戻ることができました。

時々十字架を負わせてくださったので、
主の心を学ぶことができたことを感謝します。

私を愛してくれた人に感謝し、
私を攻撃してくれた人にも感謝します。
それが私をより寛大な人間にしました。

時々トゲをくださって、
眠った魂を起こしてくださいました。

ため息と涙もくださいましたが、
そのおかげで、本当の幸せが何なのかを学びました。

ミスと失敗をありがとうございます。
謙遜を学びました。

日々平凡な生活の中で感謝を発見する知恵をください。

何かができたからではなく、
何かが私に起こらなかったことを感謝させてください。

音楽を聴くことができる耳と
美しさを見ることができる目と
便利な時代に生まれたこと
数えても数えてもきりがないほどの多くの恵みに
感謝できますように。

人と比べて生きず、
嫉妬の火山の中に入らないようにしてください。

お金を目的にせず
最高であることを誇りにせず
謙遜になりますように。

愛のささやきを唇にください。
感謝の歌が歌えますように。
今日も主の十字架を愛するようにしてください。


# by shukugawachurch | 2024-02-01 09:00

年のはじめに

                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父
幸せはセルフ
自ら作る発明品
なんでも揃えている雑貨店でも
世界的に有名な百貨店さえ
幸せは扱わない
ただでもらえるギフトでもない
ある日、ピンポ~ン!とベルを鳴らしながら届けるUberでもない
ここに愚かな二人がいる
虹を求めて遠くに旅立った少年と青い鳥を求めて毎日歩き回る少女
なぜ?
虹と青い鳥はまさに自分のそばにいるのに…
それで、かつてドイツのゲーテは私たちに次の詩を残してくれた

  「忠告」
 あなたはどうしてしきりに遠くへ行こうとするのか
 見て嬉しいものは近くにあるのだ
 ただ、眺めることさえできれば
 幸せはいつも私のそばにある!
 まさに今この瞬間、
 私の前にいる人を愛するように眺めよう
 まさに今この瞬間、
 私がしているつまらないことを大切にしよう

遠いところにいるダライラマ、マザー·テレサだけが師匠ではない
私のそばの小さな子どもからも真理を悟ることはできる
すべての人は偉大であり、
すべての人生は幸せになる資格がある
胸を開いて
新年を迎えるお祝いの鐘の音
胸の中に響かせよう
胸を開き、
今年は主と共に
自ら作る幸せが溢れた一年になるように


# by shukugawachurch | 2024-01-01 09:00
                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父
 愛について説明した文がありました。
 「良いものを見ると思い出すのが愛です。 良い服を見ると思い出すこと、それが愛です。美味しいものを食べたら一緒に食べたくなり、良い景色を見たら一緒に見たくなり、 良いことがあれば、ここにその人と一緒にいたくなると思うこと、それが愛です」。
 シンプルに愛を表現した文だと思います。
 愛は遠いところから複雑で大げさに現れるのではなく、いつも触れ合う日常から、シンプルで素朴に訪れるものであることを教えています。
 「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マタイ22・37)、「隣人を自分のように愛しなさい」 (マタイ22・39)。
 イエス様が私たちにくださった最大の掟は、神様への愛と隣人への愛です。
 では、神様をどのように愛したらよいのでしょうか。 そう問われると、神様と一緒にいるとはどういうことかさえ曖昧になってきます。
 しかし、神様はいつも私たちと一緒にいるのですから、そんなに大げさに複雑に考えることはありません。 ただ良いものを食べる時に感謝し、良いものを見る時に感謝し、 良いことがある時、神様を思い出して賛美すること、それが神様への愛なのです。
 また、神様への愛は隣人への愛によって完成されます。 神様が私を愛してくださっているように、神様は私たちの隣人を愛しておられることを覚えておく必要があります。
 それゆえ、私の隣人への愛は神様の仕事への光栄な参加になります。
 終わりが見えない蒸し暑い夏が過ぎ、朝晩はかなり肌寒い風が吹いています。冷える体のように、隣人を愛する心まで冷えているのではないか、心配です。
 隣人を美しく眺められるまで愛すること、 それが、神様が造ろうとされている私たちの完成の姿ではないでしょうか。


# by shukugawachurch | 2023-11-26 10:00
                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父


神父になって初めての日曜学校で子どもたちに質問をしました。
「日曜学校のお友だち! 神様の国はどんなところでしょう」
子どもたちは、もじもじしながら答えられませんでした。
「永遠にロザリオの祈りをするところです。永遠にミサを捧げる場所、永遠に聖書の言葉を聞く場所、 永遠に隣人の愛を実践する場所です。 神様の国に行きたいお友だち、手を挙げてください!」
日曜学校の子どもたちは誰も手を挙げませんでした。
私は続いて次のように聞きました。
「では、地獄はどんなところでしょう」
子どもたちは、またもやもじもじしながら答えられませんでした。
「永遠にロザリオの祈りをしないところ。永遠にミサを捧げない場所、永遠に聖書の言葉を聞かない場所、永遠に隣人の愛を実践しない場所です。地獄の方が楽らくそうで好きだと思うお友だち、手を挙げてください!」
すると、子どもたちはみんな手を挙げました。
 この子どもたちは、一つの明確な事実を教えてくれています。人は自分の基準によって喜びを得るところでは永遠に生きたいと思いますが、自分の基準に反したところでは生きたいとは思わないという事実です。
 神の基準と人の基準が異なる場合が多くあります。それは神の基準と世の中の基準が違うからです。神の基準から離れてしまうのは、私たちが神の国よりも世の中の基準に馴染みやすく、そちらの方が楽だからです。今、私たちが神様と時間を共にすることや、祈りや隣人愛に喜びを味わえないなら、神様の国が私たちにとって喜びの場所になるのは難しいでしょう。
 10月はロザリオの月です。
 私たちの信仰の模範であるマリア様が私たちに勧めてくださったのがロザリオの祈りです。今月は、マリア様が黙々と歩んでこられた信仰の道を、ロザリオの祈りを通して、神様の基準に近づく時間として過ごしてみてはいかがでしょうか!
「成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」(マルコ 4・32)
 神の国はからし種のように大きくなって皆を抱くことができる国です。
しかしながら、神と共にいることに喜びを見つけられなければ、私たちは自ら、神の国を拒否することになるでしょう。
 神様と一緒に喜びを見つける信仰生活を送っていますか?


# by shukugawachurch | 2023-10-01 07:00