聖母月の起源
2019年 05月 01日
13世紀から、スペインやポルトガルのいくつかの小教区では、5月の聖母月の信心として聖母マリアへの献花を行っていました。14世紀にはヘンリー・スーソ神父が5月の初めから聖母マリアへの特別に荘厳な献花を行いました。聖フィリポ・ネリは、毎年、5月1日に聖母マリアのご像の前で子どもたちを集めて花を供えていました。美しい春の花を祈りに添えて聖人たちはマリア様に捧げていました。
17世紀の初めになると、イタリアのナポリ地方のフランシスコ会の聖クララ教会で、聖母マリアの月として5月が荘厳に祝われました。毎日聖母への歌を歌って、ミサが捧げられました。聖母の月はすぐに地域の小教区中に広まりました。
1654年にイエズス会のナダシ神父は、ローマに送られた神学生のための学校を聖母マリアに奉献し、聖母を崇敬するために、5月を聖母に捧げるよう呼び掛けました。
19世紀の初めからは、聖母月の祈りは厳粛に組織化されてきました。特にカテドラルにおいて、司祭が説教するようになりました。
5月になると、いつも聖母のことについて考え、話しかけたくなります。5月は聖母の月であると同時に典礼暦年の「復活節」にも当たっています。5月は、聖母マリアに対して思い切って心を開くよう、私たちは招かれています。
1815年、ピオ七世教皇が5月を聖母月とし、荘厳に聖母行列を行うよう呼びかけました。聖母行列は聖母マリアに対する祈りの中でも、幾世紀にもわたって大切にされてきた信心となりました。聖母への祈りについて歴代の教皇はたびたび言及し賛え、ピオ十一世教皇は「われわれが神の御母に向かって唱えるいろいろな祈り、有益な祈りのうちで、神様との懸け橋となる祈りである」と述べています。そして1995年に、聖パウロ六世教皇は5月のマリア信心を称える回勅『メンセ・マイオ』を出されました。
こうして5月の聖母信心は、特別なものへと発展していきました。世界中のカトリック信者が天の御母に対して持っている信仰と愛を表現する機会です。
「この月の間、キリスト者は、教会堂においても家庭においても、おとめである母に、よりいっそう熱心で愛に満ちた名誉と尊敬のわざをささげるからです。この月こそ、わたしたちの母の座から、神のあわれみ深い恵みが豊かにそそがれる時です」(『メンセ・マイオ』1)。
聖パウロ六世教皇が書かれた、聖母マリアの信心について改めて考えることが大切です。なぜなら聖母に対する信心は、父なる神の救いのみ業への信仰につながる、荘厳で伝統的な行事だからです。聖母マリアを通して神への愛、神への尊敬を表し、聖母マリアへの崇敬を通して、キリスト信者は神への愛に至り、恩恵に応えるように招かれているのです。
私たちは聖母への愛とよろこびをもって、聖母によりすがらなければならないのです。
この5月は、四季折々の中で春の訪れとともに自然界の実りがもっとも感じられ、また主の復活の喜びと希望に満ちた月でもあります。そのような思いをもってこの月が聖母マリアに捧げられ、マリア崇敬のために祈り続ける信心が伝統として行われてきたことは、当然のように考えられます。
信仰の黄金の花を聖母マリアにお捧げ致します。母のように神の愛と摂理に信頼するように教え導いて下さい。
希望に満ちた緑の花を聖母マリアにお捧げ致します。困難に遭っても挫くじけることなく立ち上がる力をお与え下さい。
貞潔に満ちた白い花を聖母マリアにお捧げ致します。私たちの魂をいつも清く清潔に保つことができるように助けて下さい。
紫の花を聖母マリアにお捧げ致します。苦痛、病気、別離、孤独の中に過ごす人が、忠実に十字架を背負って歩んでいくことができますように、守り導いて下さい。