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カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

十字架称賛の祝日

                                                       
ペトロ 梅原 彰 神父
 9月14日は十字架称賛の祝日です。十字架称賛の祝日は、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナが西暦320年頃、エルサレムでキリストの十字架の聖遺物を発見したという伝承に基づいています。
 私たちはいつも教会の中で十字架を目にしています。また、祈りの中で何度も十字架のしるしをします。私たちにとってごく身近なものになっている十字架ですが、十字架の意味についてよく知らなければなりません。父である神は独り子イエス・キリストをこの世に送り、イエスは御父のみ旨に従って人類の救いのため、十字架の死を遂げられたのです。
十字架は神(イエス)の人類に対する愛を意味しています。イエスが息を引き取られたとき、「本当に、この人は神の子だった」(マルコ15・39)と告白したのは、イエスの十字架のそばに立っていたローマ軍の百人隊長でした。神の子だからこそ、自分の命を救うことをせず、全く無力に死んだイエス。愛の道を全うされたイエスこそ神の子です。ネロ皇帝が殺したローマの殉教者たちも、この百人隊長の後を継いで、「あなたこそ神の子です」と告白しつつイエスへの信仰のために命を犠牲にしました。福音のイエス像は、世の終わりまで十字架を背負ってイエスの後を歩むキリスト者たちの最大の力なのです。イエスは、自分についてくる者は自分の十字架を背負ってついてきなさいと言われました。
 「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マルコ8・34)。それは自己否定するようにとの励ましです。一世紀のキリスト者たちにとって、十字架は唯一、死を意味していました。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」(ルカ9・24)。
 イエスにつき従って愛をもって生きようとする人は、苦しみを避けて通ることはできません。愛は人をなんらかの形でイエスの十字架へ導きます。
 「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16・33)。
 苦しみはこわいものですが、常に希望があります。私たちが自分自身を大切にする以上に、神は私たちを大切にしてくださっています。イエスはまさに、私たちのために死なれたのです。キリストの十字架の道は確かに苦しみの道でしたが、それは同時に栄光への道でした。


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by shukugawachurch | 2019-09-01 00:00