ポポン・エマニュエル 神父
カトリック夙川教会月報2022年9月号
平和旬間の8月が終わりましたが、私たちにとって平和は常に求めるものであり、常に実行するものでもあります。ですので、9月に入りましたが、私たちの心があこがれる平和について書きたいと思います。
エフェソの信徒への第二の手紙の中に使徒パウロはこう書いています。「あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました」(2エフェソ2・13-15 )
この手紙はイエスの信仰に基づいて集められた新しい共同体に書かれたものですが、人類全体に対して、大切なことを伝えていると思います。
主イエスは同邦人と異邦人とによって殺されたことを忘れてはなりません。神を信じる者と信じない者、両者の殺意と敵意とによって死刑にされました。
世界平和のために働くことは、年に一回祈ることではありません。むしろ自分の中にある殺意と敵意を意識し、それを退けることから始まります。この世が思う平和ではなく、神の国につながっている平和をもたらす者になるためには、個人の回心と覚悟とが必要です。私たちの地域に戦争が起きていなくても、日常生活の中で人々は競争し、対立します。私たち家族の中でさえも争いが生じます。主イエスの十字架上での苦しみはこの世でまだ続いています。虐げられる人において、主イエスも虐げられています。権力者が平和を求めない世界に置かれている私たちの前に一つの選択があります。神の国を無視して虐げるものになるか、神の国を信じて虐げられる人のそばに立つものになるか。日常生活の中で平和をもたらす人になりましょう。
人類の歴史を見ると一つのことが分かります。平和は自分を捨てるほどすべての命を大切にする心から咲くものです。イエスはそういう人を神の命に導いてくださいます。愛を持って生きる人は神のうちに生きる、そしてこの世の中で平和の実を結びます。イエスの十字架の苦しみを忘れずに覚悟と勇気を持って平和を宿すものになりましょう。自分の中にある暗闇に向き合い、すべての命を思いやる存在としてこの地上を歩みましょう。私たちはそのために神様に呼ばれています。
マリア様はそのように生きて、神様の命へ招かれました。私たちもマリア様と同じように、その時が来たら神様の住まいで平和の主であるイエスに迎え入れられます。
危険を感じる今こそ主の平和を守るために覚悟を持っていきましょう。