ポポン・エマニュエル 神父
ミサは主イエスが用意してくださった食卓を囲むひと時です。 主イエスご自身が与えてくださるのは、友情、憩い、慰め、癒し。さらに与えてくださるのは、疑いを超える信じる力、恨みを超える和解の謙遜、苦しむ人に寄り添う勇気。
ミサは主イエスの思いやりを受け入れ、それによって新たにされるひと時です。ミサの中で主イエスが用意された食物によって養われてわたしたちは成長できます。その食物はみことばとパンとぶどう酒。それぞれを通して、イエスはわたしたちを永遠の命へ導いてくださいます。
主イエスは、わたしたち一人ひとりが天の父の子になるために、一人ひとりに合わせた道を整えてくださいます。ミサはイエスの心にあずかるひと時です。
主イエスによって回復され、豊かにされるひと時です。
ミサは、この地上を旅する間に、一旦荷物を置いて、一緒に歩んでくださるイエスと分かち合うひと時です。
ミサはイエスのそばに集まり、イエスに聞き、イエスに倣うひと時です。静かな雰囲気でなくても、大勢の人がいても、イエスは各人にその時間を準備してくださいます。ミサには準備が必要です。役割分担とやらなければならないことがあります。しかし、ミサのために準備する時、必ずそれはイエスとともに過ごす時間であるといつも思い出さないと、あっと言う間にイエスが伝えた思いやりを忘れてしまいます。ミサとそれに伴う行いはイエスとともに行うものです。自分のやっていることでイエスが伝えた思いやりを失うことになれば、それをやめたほうがましです。
ミサは特別にイエスと繋がる時間です。イエスに繋がって、他の人とすべての命との繋がりが深められます。ますます神の子どもとして生きていきます。
忙しいからこそミサは欠かせないものだとわたしは強く感じます。とはいえ、行きたい気持ちがなければ、イエスが与えようとするものを受け入れられない恐れがあります。誰かを誘う時、まず自分がどうして行きたいかを確認してから誘えば、きっと行きたい気持ちが通じます。