カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

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 青葉若葉の生い茂る五月は聖母マリアの月として祝われます。長い冬の間、枯木のように死んだかのような桜の木がバッと満開となり、その美しい姿を楽しませてくれました。
 イユズスも十字架の苦しみを受け、尊いいのちを人間の救いのため、お捧げくださいました。弟了たちは失望と悲嘆のうちに三日間を過しました。しかしイエズスのいのちは十字架で終ったのではありません。イエズスは三日目に復活されたのです。イエズスの復活こそ生命の開花、満開の桜のように真の生命、秘められた生命があふれ出た花のようです。
 ところで福音書にはマグダラのマリアやベトロやエマオヘ向かう弟子たちと復活されたイエズスの出会いのエピソードは語られているのに、聖母マリアへのイエズスの出現について、一言もふれられていないことに不思議にお思いの方もおられることでしょう。それには、それなりの理由があるはずです。本来ならあれほど苦しみ、悲しまれた聖母マリアに第一にお現れになって、しかるべきでありましょう。しかし福音史家たちはイエズスの復活の真実性と客観性について、第三者の明白な証拠を提示することを主眼において記しています。マリア様がおん子イエズスの復活について語ったとしても、自分の息子について話す母親のことばであるなら、その証言を信頼をもって受け入れられなかったことでしょう。福音書はむしろ弟子たちの不信仰や疑惑、頑固なトマス等の出来事を語ることによって、イエズスの復活の真実性を浮き彫りにしているのです。
 日曜日の朝、墓に急ぐ婦人たちの中に、マリア様の名が書きとめていないのは何故なのでしょうか。それはイエズスがすでに復活されたことを知っておられたので、ご遺体に香油を注ぐために出かける必要はなかったのです。イユズスの十字架の死まで、救いのご計画に協力されたマリア様にイエズスがお現れになって、慰められないはずはなかったのです。
  マリア様こそ誰よりも先にイエズスの復活の喜びに与ることは、ごく当然と考えるべきでしょう。マリア様はイエズスの復活を固く信じておられたからこそ、日曜日の朝イエズスのお墓に出かけていかれなかったのです。聖母は誰よりも先に、誰にもまさって、イエズスの復活の栄光に与るべき方である。マリア様がイエズスの復活の勝利に誰よりも先に与ったということは、聖母マリアの被昇天の信仰箇条として宣言されています。

                        梅原 彰 神父

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by shukugawachurch | 2007-05-01 00:00