カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

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マルセリーノ 春名昌哉

2月8日から14日まで、ルルド・ヌヴェール巡礼に同行司祭として参加しました。北は仙台から南は広島まで日本各地から18名の方が参加されました。私にとっては初めてのヨーロッパ旅行であり、飛行機に乗るのが苦手な私としては長時間フライトに対する不安もありましたが、本当に有意義な巡礼と黙想の時間になりました。天候にも恵まれ、雨が降ったのはバスや電車で移動している時だけでした。
ルルドにおける聖母出現は子供の頃から話に聞いてよく知っていましたが、やはり「百聞は一見にしかず」の言葉通り、実際に現地を訪れ、肌で感じてこそ初めてわかるものがあると感じます。広島や沖縄、フィリピンやカンボジアに行ったときも同じことを感じました。戦争の悲惨さや貧困はテレビや新聞、本などでも知ることができます。しかしメディアを通してそれらを見ることは、現実にそこで起こっていることを対岸の火事のように受け取ってしまいがちになるのではないでしょうか。大変なことが起こっているようだけれども、どこか遠くの出来事として感じてしまい、実感としてはなかなか受け取れないのかもしれません。だからこそ、それらが起こった現地に行くことは、そこで一体何が起こったのかを体で知ること、感じることは本当に大切なことだと思います。実際にヌヴェールで聖ベルナデッタの遺体を見て、ルルドで聖母出現が実際に起こった現場に立ってみると、あることに気づきました。それはマリア様とベルナデッタの間にある二つの共通点です。
その共通点とは何か。一つ目は二人とも少女時代にその後の人生を左右する大きな体験をしたことです。マリア様が受胎告知を受けたのはおそらく少女時代であったでしょう。当時の結婚年齢は今よりも若く、マリア様も十四、五歳であったであろうと思います。そしてベルナデッタも14歳の時に聖母出現を体験しました。この体験を経て、二人の人生は大きく変えられていきました。貧しいながらも温かい家庭で普通に生活していた二人にとって、想像もしていなかった出来事だったでしょう。
二つ目は二人ともこの突然の出来事を受け入れたことです。人生を大きく変えてしまう体験。それも自分から望んだことではなく、予期しない出来事でした。おそらく二人ともなぜ自分が選ばれたのかと大いに戸惑ったことでしょう。あり得ない出来事が自分の身に起こった。すべてを理解するまでに時間はかかったかもしれませんがマリア様は救い主の母になることを、ベルナデッタは修道女として生きることを受け入れました。
私たちも日常生活の中で色々なことを体験します。その中には自ら望んだものもあれば、そうでないこともたくさんあります。むしろ、後者の方が多いのかもしれません。自分では望んでいないことが現実に私たちの身の回りに起こっていきます。そのようなときにこそ、私たちは聖母マリア、ベルナデッタに倣うことが求められていると思います。
彼女たちが体験したことは決して自分たちの望んだことではありませんでした。しかし彼女たちはその出来事が何を意味しているのかを考え、理解しようと努めました。そして最終的には自ら進んで与えられた使命を受け入れることを決意し、しっかりと人生を生き抜きました。私たちもまた、彼女たちのように自分では望んでいなかったことが起こったときに、そこに込められた神さまからのメッセージを識別し、それを受け入れていくことが必要ではないでしょうか。神さまが私たちに望んでおられることを受け入れ、人生の歩みを進めていくとき、私たちは神のいのちを生きる者へと変えられていくと思います。
そしてこの生き方を誰よりも大切にした方こそ、私たちの主キリストです。キリストもまた、神さまから与えられた使命を完全に識別し、私たちの救いのために自らすすんで十字架への道を歩まれました。自分の望みではなく神の望みに従って生きることの大切さをキリスト、聖母マリア、ベルナデッタは私たちに示してくれています。
今月から四旬節に入ります。主の過越を祝うための準備の期間です。このときにこそ「受け入れる」ことの大切さを黙想し、主の復活を待つための準備をしましょう。また四旬節は復活祭に洗礼を控えている人たちにとっても重要な準備の期間となります。主の言葉を受け入れて新たな歩みを始める人たちのためにも祈りましょう。







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by shukugawachurch | 2011-03-06 00:00