カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

<   2013年 02月 ( 1 )   > この月の画像一覧

旅人と他国人

                                                       
カスキーリョ・マルコ神父

 1月6日に主のご公現をお祝いしました。東の国から3人の博士たちが、星に導かれて長い旅をして、お生まれになったばかりのイスラエルの王を拝みに行きました。それは旧約の預言を実現するためでした。
 ポルトガル・スペイン巡礼の旅は、イベリア半島の様々な教会、カテドラル、マリア様の聖堂に行きます。カトリックの歴史の尽きることのない素晴らしい宝を体験するという目標もあります。キリスト教の最大の遺産の一つは、ローマ教皇からポルトガルの王達に「最も忠実な国王陛下」という名が与えられ、そしてスペインの王達には「カトリック国王陛下」という名が与えられたことです。
 巡礼の霊的な意味について書いてみたいと思います。列王記上(19・25)でダビデ王は、集まった人々の前で神を賛美して言いました。「われらは先祖と同様に旅人であり他国人なのです」。日々の地上の歩みは一つの方向を目指します。「体験するとは自分の足で歩むことだ」とスペインの哲学者オルテガ・イ・ガッセーも言っています。体験して歩むとは目標に向かって旅をすること。巡礼には肉体的な労力が求められ、疲れますが、深い霊的な意味があります。旅人は神の創造された自然の美しさ発見することができ、人に出会って助けられ、そして沈黙の中で歩むことで自分の人生を深く黙想することもできます。
 沢山の聖人達は、人生は神様に向かって巡礼することだと理解し、もっともっと神の存在との交わりを深く体験するために、ある場所を探し求めました。例を挙げれば、フランスの聖ロクがカトリック教会の中心であるローマへ巡礼し、ポルトガルの聖ゴンサーロは聖地エルサレムに巡礼をしました。そして、スペインの聖ホセマリアはあらゆるマリア様の聖堂を訪れました。たとえばルルド、サラゴサのピラールの聖母の大聖堂、フアチマへの巡礼などです。どの聖人にとっても巡礼にはある共通点がありました。それは自分の国を愛しながらも、同時に普遍的(カトリック)な心を持っていたことでした。他国に住みながら真の国、天国を探し求めているのです。
 巡礼はキリスト教だけの習慣ではありません。仏教、ヒンズー教、ユダヤ教、イスラム教、神道にもそれぞれの巡礼地があります。しかし、カトリック信者にとって巡礼は特別な意味があります。キリスト教の巡礼は4世紀に遡り、当時、聖ヒエロニムスが大いに勧めました。(記録に残っている)最初の巡礼者は、信じられないことに、女性でした。多分テオドジオ皇帝の家族に属していたと考えられるエヘリアと名乗る修道者です。当時、女性がスペインから、シナイ山、ベトレヘム、ホレブ山、タルソ、シリアなど、長い巡礼の旅をするのはたいそう困難だったでしょう。一体、何年ぐらいかかったのでしょう。沢山の危険にも遭ったでしょうが、見知らぬ土地で暖かく迎えられて感謝する彼女の姿が浮かんで来ます。彼女は深い信仰を持って、ほんとうの巡礼の意味を味わったことでしょう。聖書に示された道を歩んだと思います。信仰に促され、自分の限界も忘れて、高い目標を目指す力が与えられたのです。彼女は、他国人としての体験を生き、国々の言葉も分からず巡礼を続けました。道端で出会う見知らぬ人から助けてもらい、もてなされる必要がありました。
 私たちも今過ごしている所で、旅人として、他国人として過ごすことができれば素晴らしいと思います。 
 日本は海に囲まれた沢山の島からなる国です。退職すれば多くの方たちが旅行されますが、若い方たちが旅行するのは珍しいのでないかと思います。若い人たちも大いに旅行して、自分の道を発見すればいいなと思います。世の中を違った目で見ることができるようになります。今年はどのくらい若者たちがブラジルのWorld Youth Dayに参加するのでしょう。親たちは、自分の息子や娘は、英語・ポルトガル語ができないから海外の旅行は難しい、と言い訳するのでしょうか。現代はエヘリア修道者の時代とあまり変わりません。彼女も外国語が分からなかったけれど、勇気をもって巡礼し、私たちに素晴らしい旅の本を残してくれました。
 私たちの信仰の祖先であるユダヤ民族、聖人たち、信仰の先輩たちのように、神様のみ前では私たちは皆、旅人であり、今私たちが生活を送っているのは他国に過ぎないのです。






カトリック夙川教会のホームページに戻る



[PR]
by shukugawachurch | 2013-02-03 00:00