カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

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主任司祭  梅原 彰


 今年も九人の大人の方の受洗がありました。初聖体の子どもも五人います。復活祭は私たちキリスト者の一番大きな喜びです。
 冬の間、死んでいたかに見えた桜の木も、そろそろ芽を出し、生命の芽生えを見ます。キリストも十字架の死を遂げ、復活されました。
 ラザロは、キリストによって甦らされました。ナインの息子も同じく甦らされました。しかし、彼らはその後再び亡くなったのです。それに対して、死に対する決定的な勝利をもたらされたのが、キリストの復活です。
 キリストは「わたしは復活であり、生命である」と言われました。「死は勝利にのみ込まれた。 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」(一コリ15・54‐55)と聖パウロは言っています。キリストの復活は死に対する完全な勝利です。そのお体は神性の光栄で輝いています。「朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。(…)最後のアダムは命を与える霊となったのです」(一コリ15・42-45)。
 キリストの死に対する勝利は、同時に罪に対する勝利でもあります。罪はキリストの復活によって打ち滅ぼされたのです。
 私たち人類の罪を背負って亡くなられたキリストは、復活することによって、人類に新たな生命を与えられたのです。それはキリストの十字架の生け贄を御父が受け入れられたということのしるしです。キリストは新たな生命、超自然的生命に満たされているのです。
 復活祭の叙唱において、「主は死によって、私たちの死を破壊し、復活によって、私たちに生命を取り戻してくださった」と謳います。死と罪への勝利者キリストは、復活によって、悪魔に打ち勝たれたのです。キリストの時は、復活の時、罪と死ならびに悪魔とすべての反対者に対する勝利の時です。
 悲哀から歓喜へ、屈辱から勝利への変化を、聖チリロは「キリストが十字架にかけられているのを見て、ユダヤ人たちは狂人のように喜んでいた。聖なる使徒たちの心は、愚かしい耐えがたい悲嘆に打ちひしがれていた。けれども、死の国をくつがえして、イエズスは復活された。するとユダヤ人の喜びは消え失せ、聖なる使徒たちの涙は喜悦と変わり、その心は永遠の歓喜で満たされた。罪のために十字架にかけられたキリストは、ふたたび死に渡されることはない。常に生きて、キリストを信じる者たちに、久遠の喜びを与えられる」と注解している。
 「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」(ローマ14・9)。私たちもキリストのこの勝利に与り、キリストを主と仰ごう。主キリストの復活は、私たちの生きる力です。






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by shukugawachurch | 2013-04-01 00:00