カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

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晩秋に想う

                                                       
助任司祭 カスキーリョ マルコ


 寒さが忍び寄り、木の葉が赤く色づき散る頃になると、今はこの世にいない大切な人のことを自然と思い出すものです。
 カトリック教会では十一月を「死者の月」としています。ヨーロッパや南米、アフリカの一部ではこの「死者の 月」に死者に思いを巡らせます。 
 この習慣によって、「死」を身近なものに感じることができ、「死」は終わりではないことを再確認できるのです。
 日本では「死者の月」と言っていますが、この表現はヨーロッパやアメリカでは使われず、「霊魂の月・魂の月」という言い方をします。この表現をすることで、「死」は終わりではなく新しい始まりである、「死」の後には肉体を離れた生命、「永遠の生命」があるということを示そうとしているのでしょう。
 十一月二日は「死者の日」とされ、多くのキリスト教徒が墓地を訪れます。一族の墓所を掃除し、花やランプ、蝋燭を大切な人に捧げるのです。
 十一月一日は「諸聖人の祝日」です。ポルトガルやスペインの子どもたちは朝からグループになって家々を訪ね、パンやお菓子をもらいます。
 ポルトガルでは「パン・ポル・デウス」、スペインでは「ミガリョ」と呼ばれる習慣です。
 子どもたちはそれぞれ袋を手に持ち、玄関のドアをノックして「お願いです。お菓子をください」と頼みます。 お昼ごろにはお菓子やチョコレート、飴やドライフルーツ、コインなど色々なものが袋の中に入っているわけです。
 これは、元々は死者のためにパンやお菓子、ワインなどの食べ物を残した古代の風習から来ています。
 アメリカのハロウィンとは何の関係もありません! 実際のところ、ハロウィンとは異教化されたキリスト教の用語なのです。「諸聖人の祝日」は「All Hallows (アル・ハロウ)」として知られていました。「Hallow (ハロウ)」とは、聖人を指す古語です。「All Hallows」の「Eve(前夜)」、ということで「Halloween (ハロウィン)」とされたのですが、現代とは違って、魔女とは全く関係がありませんでした。
 十九世紀のイギリスでは、子どもたちがお供えや「魂のお菓子」を求めて家々を回るという習慣がありましたが、これもこの時代に「万霊節の夜に死者が家に戻ってくる」と信じられていたからです。そのため、人々は死者の道しるべとなるよう小さな蝋燭を灯し、彼らのために食べ物とワインを準備したのです。これは日本の八月十五日、お盆の日の習慣に非常によく似ています。
 十一月は「煉獄の霊魂」のために祈る月でもあります。この煉獄の教理ほどカトリック教徒自身に誤解されているカトリック教理は、現在、他にないでしょう。学者の影響で、多くの人々が煉獄の教理を中世の考えだと思っています。
 マカバイ記のようにプロテスタントが認めていない第二正典に関係するものだと考え、排除すべきだと思っている人もいます。
 その結果、多くのカトリック教徒が煉獄の教理を軽視しがちとなり、信じることが恥ずかしいと感じることさえあるのです。神父でさえ、説明するときに戸惑う場合があります。死者のために何度も祈る人々が、祈る理由を説明できないのはこのためです。
 私は煉獄の教理を信じることに、気後れを感じるべきではないと思います。実際、魂が天国や地獄にあれば、その魂のために祈る意味はありません。しかし、もし魂が煉獄にあれば、祈る必要があるのです。
 煉獄は、多くの人々が考えるような罰を受ける時間ではなく、天国に行くために清めを受ける時間です。ですから、我々は煉獄での時間が短くなるよう、死者のために神に祈るのです。
 以前は「煉獄」に関する多くの儀式がありました。人々は「煉獄の霊魂」を描いた絵画を家に飾ったものです。また、「煉獄の霊魂」に祈れば、朝にすっきりと目覚めることができ、目覚まし時計もいらないと信じられていました。残念ながら、このような儀式や習慣は全て失われてしまいました。
 しかし、ポルトガルには、人々が「煉獄の霊魂」を今も信じていることを示す象徴が残っています。「アルミニャス」と呼ばれる、道端にある小さな聖域がそうです。
 私は、日本の道端で祠(ほこら)を見るたびに、このポルトガルの「アルミニャス」を思い出します。「アルミニャス」は町や村のあちこちの道端にあるのですが、多くは交差路に建てられています。たいては石造りで、鉄格子に守られたくぼみがあり、その中は彩色タイルで彩られています。「霊魂の信心会」が手入れをしており、「煉獄の霊魂」に捧げるためのものなのです。人々は通りすがりに祈りを捧げ、蝋燭や花、供物をくぼみに置いてきたものです。
 聖パウロは死者に対して無知でいてはならない、悲しまずにいてはならないと説いています。
 たちは彼らを忘れてはならないのです。永遠の生命へと旅立った人々のために祈るよう、教会でも常に教えています。旧約聖書でも死者の魂のために捧げる祈りと供物について触れています。この十一月に皆で死者を偲び、ミサの意向を捧げ、彼らのために祈りましょう。
 山歩きをしているとき、秋の紅葉を見つめているとき、大切な人々を思い出してください。そして特に、彼らと共に過ごした素晴らしい思い出を思い返してあげてください。






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by shukugawachurch | 2013-11-01 00:00