カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

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ペトロ 梅原 彰 神父

 山の木々の緑もいつしか紅葉し、秋も深まってまいりました。寒風に吹かれて落葉する姿を見ていると、なんとなく寂しさを感じます。その姿の中に、自然界は私たち人間に「あなたもいつの日か落葉(死)する時があるのですよ」、「心して人生を大切に生きなさい」と呼びかけているように感じます。

 教会は11月を死者の月として、私たちの親、兄弟、姉妹、夫、妻、子ども、恩人、友人など、亡くなった方々のことを思い起こし、死者のために祈りを捧げるとともに、自分の終末(死)をも黙想するよう呼びかけています。

 人は死ねば体は土に還り、霊魂は一生の善悪について神に裁かれるのです。ヘブライ書に「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ 9・27)と書かれています。人は皆、キリストの十字架の贖いによって救われ、天国に招かれています。しかし神は人を裁き、ある人には天国の幸福を与えますが、不幸にして神の恵みをたくさん受けながらも、この世の欲に負け、神の心と全く反対の生涯を歩み、改心することなく死んだ人は天国には入れないのです。

 神の恵みと神との一致を保ちながらも、完全に心が清められないまま死ぬ人は、永遠の救いを保証されているものの、死後、天国の喜びに与るために必要な聖性を得るため、ある浄化の苦しみを受けなければなりません。これを教会は煉獄と呼んでいます。

 煉獄の教えは、15世紀に開かれたフィレンツェ公会議と16世紀のトリエント公会議で表明されました。「その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」(1コリント 3・15)と聖書に基づいています。

 煉獄の教えは旧約聖書のユダ・マカバイ記にも記されています。「死者が罪から解かれるよう彼らのために贖いのいけにえを献げたのである」(2マカバイ 12・45)とあります。教会は当初から死者の記念を重んじ、死者のために祈り、特に感謝の祭儀のいけにえを献げていました。それは死者が清められ、神の至福直観に至ることができるためです。私たち地上に生きている者は、煉獄の霊魂がいち早く天国に旅立てるために、施し、犠牲、愛の業、免償、償いの業を捧げるよう努めねばなりません。私たちの祈りや犠牲によって天国にあげられた人々は、天国から私たちのために恵みを取り次いでくださることでしょう。

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by shukugawachurch | 2017-11-01 00:00