カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

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エリック・バウチスタ・デ・グスマン神父
 聖ヨハネ・パウロ二世教皇は、教皇に選ばれたとき、58歳でお若かったし、山登りなどがご趣味で、とても健康的な方でした。きっと、長く教皇としてお務めになるだろうとよく言われていました。しかし、1981年5月13日に、バチカンの聖ペトロ広場で銃撃されて、奇跡的に命は助かりましたが、そのあと教皇様はずいぶん弱られました。徐々に悪化していた健康状態は見た目にもわかるようになりました。教皇様が歩かれるときに、杖を使い始めたのもその一つでした。最初は教皇様ご自身も、公の場で杖を使うのを遠慮なさったようでしたが、使い慣れてからは、杖と遊んでおられた教皇様のお姿も何回か公の場で見られました。
 2001年、教皇様はパーキンソン病と診断され、体も大分弱くなられ、バチカン近くの病院に運ばれて入院されることを繰り返されました。入院しても教皇様はすぐに退院をお望みになり、バチカンに帰ってすぐに仕事に取り組まれたそうです。大勢の人々に愛されていた教皇様は、ご自分のお部屋の窓から皆さんによくご挨拶をなさって、皆さんをいつも祝福されていました。このようなお体の状態で、これからも教皇様がお仕事を続けられるかどうか、話題となりましたが、教皇様はおやめになろうとはなさいませんでした。イエス様が十字架からお降りにならなかったように、教皇様も教皇の務めをおやめになりませんでした。
 しかし、教皇様は2005年、亡くなられる数か月前に、声が出なくなってしまわれました。何回も、お部屋の窓から皆さんにお姿をお見せくださいましたが、声が出なくて皆さんに挨拶さえもできなかったのは、どんなにお辛かったでしょう。2005年4月2日、教皇様は入院を固辞され、ずっとご自分のお部屋にとどまっておられました。病者の塗油を受け、バチカンの親しい友人や同僚に囲まれて、よくお祈りをしておられました。世界中の様々なところから来た信者もみんな聖ペトロ広場に集まり、教皇様のために一生懸命祈りをささげました。教皇様は祈りをささげてくれたすべての人々に次の言葉を述べ、感謝の気持ちを表されました。「わたしはあなた方のところに足を運んだ。今回、あなた方はわたしのためにここにやって来てくれた。わたしは嬉しくて感謝でいっぱいだ」。夜になると、教皇様は、「わたしを御父の家に帰らせてください」とおっしゃって、そのあと、息を引き取られました。教皇様はご自分が天国に行くことがきちんとわかっておられたようでした。
 このように、聖ヨハネ・パウロ二世教皇は、わたしたちに、どのように生きたらいいかだけではなく、さらにどのように死ねばいいかという模範を示してくださいました。今月は11月で、死者の月です。わたしたちより先にこの世を去った家族、親せき、友人、恩人のために祈りながら、わたしたちも「終末」について考える時間が与えられます。わたしたちのこの世の生涯は一時的なものであり、わたしたちの永遠の住処(すみか)は天にあります。この世の生涯を通して天に十分な宝を積んで、死が訪れるときには、教皇様と同じように、わたしたちも「御父の家に帰る」ことができるように、常に心の準備を致しましょう。
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by shukugawachurch | 2018-11-01 00:00