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カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch
                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父

 彼の母親は、これらすべてを心に留めていました。
 私たちが祈る時やミサの時に最も多く使う単語はまさに「アーメン」ではないかと思います。
 「アーメン」の意味は「そうなることを願う」または「そうなりますように」です。その意味から「アーメン」という回答も一つの祈りであり信仰告白であり、もう一つの従順です。
 その従順の姿をよく見せてくれる方がまさに聖母様です。
 イエス様を宿すという天使ガブリエルの言葉に「そのまま叶なうことを願います」という応答は 「アーメン」といった  回答、従順の答えでした。
 シメオンの予言(ルカ 2・25-35)と、エルサレムに残り、律法学者たちと話を交わしている幼いイエス様。
 このような理解できない行動と言葉をただ心に留めておいうこともまた一つの従順です。
 すぐにはその意味が理解できませんが、明らかにその中に大きな意味があると信じる聖母の姿は、従順がどんなものなのかを教えています。
 教会の中で、社会の中で、私たちが理解できない、私たちが知らないことが起きたりもします。
今は知らなくても、私たちが神様の中にいる限り、神様がすべてを知らせてくれます。
 もしかしたら、今は聖母様のように心の中におさめて待たなければならない時間かもしれません。
 私の祈りに答えてくださる時に叫ぶ「アーメン」ではなく、神様の意思が叶うのを待つ「アーメン」、つまり従順でなければなりません。
 私の「アーメン」という答えに神様への「信頼」と「従順」の心が込められているか、考えてみましょう。

# by shukugawachurch | 2024-05-26 10:00
                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父
 イエス様のご復活の大祝日は、祝祭日全体の中で最も重要な祝日です。 福音は週の初めの日の夜明けに起きた事件を述べ伝えています。 マグダラのマリアは早朝に墓に向かいます。 厳格な律法によると、安息日にユダヤ人は行けません。
 しかし墓に着くと、驚いた事に墓を塞いでいた石は、わきへ転がしてありました。 石がよけられているのを見て、マグダラのマリアはイエス様がご復活されたというより、 誰かがイエス様を墓から持ち出したのだと思い、これを墓に対する冒涜行為だと思います。
 「誰かが主を墓から持ち出して行きました。 どこにお連れになったのか、わかりません」。彼女にとって復活は不可解で、とても考えられることではありません。
 マリアがシモン・ペトロとイエスが愛した他の弟子のもとに駆けつけてこのことを伝えると、 二人の弟子は、確認するため墓に駆けつけます。 ペトロと他の弟子が見たもの、すなわち残された覆いと亜麻布がこの驚くべき出来事の証です。
 弟子たちはイエス様の死により、全てが終わったと感じていたため、復活するというその方の予言が、とても現実の事とは思えず、全く理解できませんでした。 福音書にもあるように、この予言も全く明確なものではありませんでした。
 イエス様が「再び立ち上がる」、「再び目覚める」とお伝え下さったその言葉が、弟子たちには何を意味するものなのか理解できず、その方のご復活のため、何の準備もできていませんでした。
 「イエスが死者の中から必ず復活されることを記した聖書の言葉を 二人はまだ理解していなかったのである」。この出来事があって後、弟子たちは、聖書が何を説き、何を伝え、イエス様の予言が何を意味するのかを悟ります。
 イエス様のご復活は私たちの信仰とその心を明確にして下さいました。

# by shukugawachurch | 2024-03-30 19:00
                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父
イエス様は、ご自分が神様から出て、神様のところに戻ることを知っておられたので、自ら弟子たちの足を洗い、腰に巻いたタオルで足を拭き始めま
した。

最後の瞬間に見せてくださいます。
最高の愛は仕えることであることを。

十字架を控えた極限の状況で、神様は愛を見せるために弟子たちの足を洗います。
弟子たちと別れる瞬間です。
その愛する方がぼろぼろに傷だらけになっていくのを目にしながらも、助けられないまま見守ることしかできない、どうすることもできないという切ない気持ち。
弟子たちのその気持ちが伝わり、ご自分の不在により受けることになる苦痛を慰めようとしたイエス様の心です。

神様は喪失と悲しみの時間が訪れる前に、優しい愛で抱いてくださいました。
私たちが受けた恵み、私たちが体験した神様の愛、 それは現在の苦痛をうまく乗り越えようとあらかじめ施してくださった神様の愛のサインです。

イエス様が洗ってくださったその足でユダは神様を売り渡しに行くでしょうが、他の弟子たちは地の果てまで福音を伝える使命に耐えるでしょう。
その足を差別なく、きれいに洗ってくださったのです。

復活の人生を送りたいなら、愛することを遠い未来に延ばしてはいけません。
イエス様は裏切りの夜に足を洗ってくださり、ご自分の体を与えてくださいました。

ご自分が生き残ることをあきらめて、他人の命を救うためにご自分の命を差し出してくださいました。
「私」を消し、「世の中」を生かしたその愛は、あまりにもすさまじく涙ぐましいものです。

今イエス様が洗ってくださったその足で、皆さんはどこに向かっていますか?


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# by shukugawachurch | 2024-03-02 18:00

四旬節の黙想

                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父
私の人生に嵐があったからこそ、
主もとに戻ることができました。

時々十字架を負わせてくださったので、
主の心を学ぶことができたことを感謝します。

私を愛してくれた人に感謝し、
私を攻撃してくれた人にも感謝します。
それが私をより寛大な人間にしました。

時々トゲをくださって、
眠った魂を起こしてくださいました。

ため息と涙もくださいましたが、
そのおかげで、本当の幸せが何なのかを学びました。

ミスと失敗をありがとうございます。
謙遜を学びました。

日々平凡な生活の中で感謝を発見する知恵をください。

何かができたからではなく、
何かが私に起こらなかったことを感謝させてください。

音楽を聴くことができる耳と
美しさを見ることができる目と
便利な時代に生まれたこと
数えても数えてもきりがないほどの多くの恵みに
感謝できますように。

人と比べて生きず、
嫉妬の火山の中に入らないようにしてください。

お金を目的にせず
最高であることを誇りにせず
謙遜になりますように。

愛のささやきを唇にください。
感謝の歌が歌えますように。
今日も主の十字架を愛するようにしてください。


# by shukugawachurch | 2024-02-01 09:00

年のはじめに

                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父
幸せはセルフ
自ら作る発明品
なんでも揃えている雑貨店でも
世界的に有名な百貨店さえ
幸せは扱わない
ただでもらえるギフトでもない
ある日、ピンポ~ン!とベルを鳴らしながら届けるUberでもない
ここに愚かな二人がいる
虹を求めて遠くに旅立った少年と青い鳥を求めて毎日歩き回る少女
なぜ?
虹と青い鳥はまさに自分のそばにいるのに…
それで、かつてドイツのゲーテは私たちに次の詩を残してくれた

  「忠告」
 あなたはどうしてしきりに遠くへ行こうとするのか
 見て嬉しいものは近くにあるのだ
 ただ、眺めることさえできれば
 幸せはいつも私のそばにある!
 まさに今この瞬間、
 私の前にいる人を愛するように眺めよう
 まさに今この瞬間、
 私がしているつまらないことを大切にしよう

遠いところにいるダライラマ、マザー·テレサだけが師匠ではない
私のそばの小さな子どもからも真理を悟ることはできる
すべての人は偉大であり、
すべての人生は幸せになる資格がある
胸を開いて
新年を迎えるお祝いの鐘の音
胸の中に響かせよう
胸を開き、
今年は主と共に
自ら作る幸せが溢れた一年になるように


# by shukugawachurch | 2024-01-01 09:00