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カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch
                                                       
エリック・バウチスタ・デ・グスマン 神父
1月1日は新しい年の始まりです
 皆様、新年明けましておめでとうございます! 去年はコロナウイルス感染症のためにわたしたちは色々な面で生活が大変でした。教会も、ミサや行事や活動などは制限されて、信者との交わりを普通に行うことができませんでした。毎日のニュースは感染者の人数ばかりを報道して、いつも感染防止対策を実施するようにと呼び掛けられました。わたしは個人的に2020年をリセットしたい気持ちが一年中にずっとありました。
 しかし、大変な一年間でしたが、神様に感謝すべきものもたくさんあったと思います。コロナの中にもかかわらず、わたしたちの教会共同体には感染者や集団感染(クラスター)もなく、わたしのフィリピンにいる家族も感染から守られたこと、オンライン会議を通じて、日曜学校やオンラインミサも体験できて、コロナ禍ならではの新しい方法で福音宣教に挑戦できたこと、コロナ禍の中で、多くの方々から声を掛けていただいて、様々な形で支援や励ましをいただいたこと、そして、コロナ禍の中で、神様のみ摂理と聖母マリアのご保護がいつもあることです。そのおかげで、新しい年を希望のうちに迎えることができます。
1月1日は神の母聖マリアの祭日です
 1月1日は、12月25日「主の降誕(クリスマス)」の8日目で、教会では降誕祭の8日間の最後の日です。それと同時に、1月1日は新年の最初の日で、新しい年を迎える喜びの日でもあります。神様には過ぎ去った年の一年間で頂いた恵みを心から感謝し、これから過ごす新しい年も同じように、多くの恵みであふれるようお祈りします。教会では、1月1日は「神の母聖マリア」の祭日でもあります。神の子キリストを9か月間、自分の胎内に宿し、ベツレヘムで幼子イエスを生んでくださった聖母マリアをお祝いする日です。新しい年を、マリア様の取り次ぎを願い、皆の健康と安全を御父に祈るのです。
1月1日は世界平和祈願の日です
 教会はさらに、1月1日を「世界平和祈願の日」として定めています。全世界が、これからの一年間平和であるようにと、わたしたちは皆、心を合わせて聖母マリアの取り次ぎを願い、御父に祈ります。対立と争いが無くなり、すべての人の心に平安があるように。
1月1日はコロナのない社会をお祈りする日です
 最後に、すべての人を苦しませてしまったコロナウイルス感染症が、一日も早く終息することを、これからも祈っていきたいと思います。神様の導きにおいて、予防接種(ワクチン)やコロナの薬が多くの人々に効果的であることを祈り、すべての人が安心して、暮らせる日が来ますように。そして、コロナウイルス感染症がわたしたちに教えてくれたことが、これからも、心と頭の中に残り、日々の生活の中に活かすことができることを神様に祈りたいです。わたしたち人間は、皆で力を合わせて、様々な試練を乗り越えられること、弱い存在である人間は神様なしに生きることができないこと、そして、誰をも排除せず、すべてのいのちを大切にし、守ることは、このパンデミックがわたしたちに再び気づかせ、教えてくれたことだと思います。


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# by shukugawachurch | 2021-01-01 10:00

神が人となった

                                                       
ペトロ 梅原 彰 神父

 主イエスのご降誕祭、おめでとうございます。ヨハネは「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた」とイエスの降誕の出来事を語っています。言という表現は何を意味するのでしょう。言は、人間の場合、人の思い、考えを他者に伝えるために心が結晶したもの、心が形となったものと言えるでしょう。
 心そのものはなかなかわかりにくいものです。同じことは神の心にも言えます。神の心も極めてつかみにくく、理解しにくいものです。そういう神の心が結晶し、形あるものになったのが、神の言だというのです。神の言こそキリストなのです。それ自体としてはとらえにくい神の心が、キリストという形に結晶したのです。したがって、キリストという神の言を聞けば、神の心が理解できるのです。
 神の言であるキリストが肉となり、わたしたちの間に宿られたとは、どういう意味なのでしょうか。心が言に結晶したのは、心を他者に伝えるためです。神の心を結晶させた言は、相手である人間に伝達されねばなりません。言によって神の心が伝わるのは、自分が相手と同じ立場になった時です。
 幼稚園の先生は教えるとき、子どもにわかるように、子どもに通じる言葉を使います。神の心もそれ自体は、相手である人間にとってつかみにくい、超越的な心です。したがって、そのままでは神と人間とは対話が成り立ちません。神は人間を超えた自分の心を言にまで結晶させ、キリストという形にして、相手である私たち人間に伝達しようとされたのです。その時に神の言であるキリストは、相手の立場にまでなって、人間の形をとり、人間としてこの人間の世界の中に生まれてくることが必要であったのです。これがクリスマスの意義であります。
 クリスマスは、受肉(托身)の出来事が起こった時であります。神が人間となって私たちとともに生きてくださる、最も嬉しい日なのです。

# by shukugawachurch | 2020-12-01 09:00
                                                       
エリック・バウチスタ・デ・グスマン 神父

 10月10日にイタリアのアッシジ教区の聖フランシスコのバジリカでフランシスコ教皇の特使であるアゴスティーノ・ヴァリーニ枢機卿の司式により、尊者カルロ・アクティスの列福式ミサが捧げられました。テレビやラジオやインターネット経由で放送されたため、列福式ミサの様子は世界の各地で観ることができました。
 では、福者カルロ・アクティスとは誰ですか? どんな生涯を過ごしましたか? どうしてカトリック教会はこの人を福者として認めましたか? そして、どうして多くの人がその列福式に注目しましたか?
 福者カルロ・アクティスは現代の福者であり、インターネットの保護の聖人と言われています。列福式ミサの中で、列福の儀の前に、福者カルロ・アクティスの生涯について知ってもらうために、簡単な紹介文が読まれました。カルロは1991年にイギリスのロンドンでイタリア人のご両親の間に生まれ、カトリック教会で洗礼を受けました。子どもの頃からカルロには強い信仰が見られました。他の子どもと比べ、ご聖体に関する理解を幼い頃から持っており、そのために、早めに初聖体を受けることを主任司祭に認められました。カルロは初聖体を受けてから、できるだけ毎日ミサに与り、ご聖体をいただくこと、そして聖母マリアに毎日ロザリオを捧げることを大切にしていました。
 また、カルロは、アッシジの聖フランシスコにならって、貧しい人々に施しをよくしていました。カルロは自分のお小遣いを節約し、残った分を貧しい人々に施していました。カルロは聖ドミニコ・サヴィオ*の模範にもならい、仲間の子どもたちを悪い影響から退かせ、神様の道を歩むように導くことに力を入れていました。
 カルロは10代になってから、パソコンに興味を持つようになり、プログラミングとホームページ作りを学びました。カルロは学んだ知識を生かして、大好きな聖体のことを普及させるために聖体の奇跡を紹介するホームページを作りました。カルロは自分で何ヶ所かの聖体の奇跡が起こった現場へ巡礼と取材に行きました。「ご聖体は天国へ行くための高速道路である」は、カルロの有名なスローガンです。
 2006年10月、カルロは体調が悪くなって、入院しました。検査の結果は白血病でした。カルロはその結果を冷静に受け止めました。「これから、私は死んでいきます」と笑顔のカルロは動画で語っています。「この病による苦しみを多くの魂の救いのために捧げ、自分が天国へ行けるように」とカルロは言いました。そして一週間後、10月12日に15歳の若さで、神様のもとに旅立ちました。
 福者カルロ・アクティスは、私たちも聖人になれること、そして、先端技術も聖性への道の道具として使えることを現代の私たちに教えています。私たちはインターネットを何のために使っていますか? いのちとは、この世に生きるために神様から与えられている時間であり、永遠のいのちに与るための準備期間だと認識すればいいと思います。
 ご聖体であるキリストと聖母マリアを日々の生活の中で大切にしてきたカルロは、この世から旅立つことに怖れを感じることはありませんでした。自分の目的地が天国であるとはっきりと意識しており、ご聖 体は目的地への道(高速道路)であることを、子どもの頃から悟っていました。確かに、子どもや青年たちだけでなく、大人の私たちも、福者カルロ・アクティスの模範から学べることが多いと思います。
 福者カルロ・アクティス、私たちのためにお祈りください!

*聖ドミニコ・サヴィオは14歳で亡くなった聖人で、侍者・子どもたちの聖人
# by shukugawachurch | 2020-11-01 09:00

10月はロザリオの月

                                                       
ペトロ 梅原 彰
 教皇ヨハネ・パウロ二世は『おとめマリアのロザリオ』という使徒的書簡を2003年に発行されました。ロザリオはマリアへの祈りという性格を持っていますが、核心においてはキリストを中心とした祈りです。福音全体の要約と呼びうるのです。現代の教皇たちはロザリオを頻繁に唱えることを奨励しておられます。
「ロザリオは喜びの時も苦しみの時もわたしとともにあり、あらゆる懸案をこの祈りに託してきました。ロザリオのうちにわたしはつねに慰めを見いだしてきたのです」(ヨハネ・パウロ二世)と。
 私たちはロザリオの祈りを唱える時、日によって、喜びの神秘、光の神秘、苦しみの神秘、栄光の神秘を観想しながら唱えます。観想を抜きに、ただ形式的、機械的に唱えるならば、それは魂の抜けた体にすぎません。キリストも「あなたがたが祈る時は異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人はことば数が多ければ聞き入れられると思いこんでいる」と警告しておられます。ロザリオは本来落ち着いたリズムとゆっくりしたペースで唱えられるべきです。私たちはマリアさまのように主の生涯に起きた喜び、苦しみ、栄光の神秘をじっくり味わいながら唱えたいものです。これらの神秘に含まれる言い尽くしがたい恵みがあらわになります。マリアと共にキリストを思い起こすロザリオの祈りは救いの歴史において神が行われたわざを現在化することです。聖書は救いをもたらす出来事が語られており、キリスト自身において頂点に達します。これらの救いの出来事は過去のことだけではなく、救いをもたらす今日のことでもあります。キリスト信者はともに祈るよう召されていますが、それでもなお自分の部屋に入って隠れて御父に祈るべきであり(マタイ 6・6)、さらに絶え間なく祈るべきことを使徒も教えています。
 マリアと共にキリストを黙想するロザリオは、救いをもたらす観想ということができます。ロザリオはあがない主の生涯の秘義に私たちを没頭させます。特に10月は、ロザリオの祈りを個人として、またグループで唱えましょう。
(『おとめマリアのロザリオ』参照)

# by shukugawachurch | 2020-10-01 09:00
                                                       
エリック・バウチスタ・デ・グスマン 神父様
 緊急事態宣言が解除されて、公開ミサが再開されてから3か月が経ちますが、大阪教区では、司牧者たちをはじめ、信者の皆さんの中にコロナウイルス感染者が出ていないことはありがたいことです。やはりこのことは大阪教区の新型コロナウイルス対策に関するガイドラインに則った各小教区の徹底した実施のおかげだと思います。
 しかし、コロナウイルス感染症がいつ終息するか、まだわかりません。毎日のニュースでは、感染者数も増えているし、ワクチンの完成もまだまだのようです。しばらくは、コロナとともに様々なことに気をつけて生活していく日々が続くみたいですね。マスクの着用や手指消毒や三密を避けることは最低限のことです。
 わたしは司祭として、緊急事態宣言を再び出して欲しくないです。なぜなら、公開ミサがまた中止されるからです。今年の2月末に公開ミサが中止されて3か月の間、個人ミサはできましたが、寂しかったです。やはり、ミサは皆さんと一緒に行う方がよく味わえるのです。イエス様ご自身も、最後の晩さんをお一人だけではなく、弟子たちと一緒に行われたのです。
 というわけで、少なくとも今のような新しい様式でミサを継続させるため、そして、皆さんが安心してミサや教会活動に参加できるよう、これまでのコロナウイルス対策を引き続き実施して行きたいと思います。教区のガイドラインと主任司祭の方針に沿って行いたいと思います。しかし、これらのことを実現させるためには、皆さんの協力が必要です。
 ミサの前後に、聖堂の換気、椅子などの消毒作業、印刷物の配付、ミサ前の入堂者の検温や受付、ミサ中の聖体拝領の案内など、皆さんの力が要ります。その他に、消毒にかかわる消耗品の寄付なども必要です。これらのことはすべて、ボランティアの方々がしてくださっています。心から感謝しております。
 これからしばらくの間は、コロナとともに信仰を活かしていかなければなりません。その間、皆さんの寛大な心にも頼らなければいけないと思っております。どうかよろしくお願い致します。
 「わたしのできること」は様々な形があります。お気づきのことがありましたら、司祭、事務所、またはボランティアの方にぜひご連絡ください。お待ちしております。


# by shukugawachurch | 2020-09-01 09:00