カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch
 カレンさんは妊娠した時、三歳の息子、マイケル君が新しい兄弟に慣れるためにいろいろの工夫をしました。特に、毎晩、マイケル君がお母さんのお腹に向かって「You are my sunshine」という歌を歌うようにしました。
 いよいよ出産の日が来ました。けれども生まれた女の赤ちゃんには問題がありました。心臓の状態がとても悪くすぐ死ぬかもしれないという状態でした。カレンさんとご主人にとってこのニュースはとてもつらいことでした。あきらめざるをえなかったので、葬式のための準備を始めました。
 けれどもマイケル君は生まれた妹さんのために歌いたかったので、毎日繰り返しそのことを両親にお願いしました。ある日、カレンさんは妹さんがすぐ死ぬかも知れないので、マイケル君に妹さんのために歌わせることにしました。しかし、病院に行くと看護婦さんは、子供が集中治療室に入ることは禁止しているとカレンさんに伝えました。カレンさんは看護婦さんに厳しくこう言いました。「歌わない限り帰らない」。その後許可が出て、マイケル君を連れて集中治療室に入りました。
 マイケル君は妹さんが生きるために闘っているのを見ると、すぐに歌い始めました‥「You are my sunshine,my only sunshine,you make me happy when skies are gray…」  〔あなたは私の光、私の唯一のひかりです。あなたは空が曇っている時も私を喜ばせる…〕
 歌を聞いてすぐ妹さんが反応した。心拍が落ち着きました。カレンさんと看護婦さんは泣きながらマイケル君が歌い続けるのを支えました。「You never know,dear,how much I love you.Please don't take my sunshine away.」  〔どのように愛しているのか知らない。私の光を捨てないでください。〕妹さんの容態は完全に落ち着きました。
 次の日マイケル君の妹さんは退院しました。新聞によるとお兄さんのラブソングの奇跡でした。カレンさんによると神様の愛の奇跡でした。お医者さんによるとただ奇跡でした。
 復活祭の意味はまさにこれです。愛する人を諦めないで、いのちは死より強いからです。

                                        ジョヴァンニ 神父
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# by shukugawachurch | 2007-04-01 00:00
 今年は暖冬だったとはいえ、朝晩は厳しい寒さを肌で感じました。自然界の木々も寒さに耐え、あたかも死んでしまったかのような落葉樹も、しつかりと大地に根をはり、三月にはやがて若芽をだします。私たちは四旬節に入り、キリストの受難と死に思いを馳せ、自分の罪を悔い、犠牲と祈りと愛の業に励もうと努めています。
 数年前上映され話題となった「パッション」という映画を見られた方もあると思います。イエズスが激しく鞭打たれ、血だらけになったその姿は直視することができませんでした。ユダヤ人の憎悪と侮辱を一身に受け、十字架を担ってカルワリオの山に登って行かれ、十字架にはりつけにされたのです。三時間にわたって、言語に絶する苦しみを耐え忍び 「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(わが神よ、わが神よ、どうして私をお見捨てになったのですか)」と叫び、息絶えられたのです。
 イエズスのこの叫びは、十字架上での苦しみの激しさを表わしています。イエズスは、その時父なる神が自分と共にいることさえ感じられなくなってしまわれるほど、痛みが最高頂だったのでしょう。しかし、この苦しみのどん底にあった時も、「神よー」とではなく「わが神よー」と叫んだ。イエズスは詩編二二を唱えておられたのであるといわれます。詩編二二の中には 「あなたはわたしの神。」という句があります。イエズスはその言葉を心に留めながらこの叫びを発したのではないかといわれます。どれほど苦しくても、どれほど神が沈黙を守り、助け手をくださらなくても、イエズスにとっては神はあくまでも「私の神」なのです。イエズスは最後まで神への信頼を持ち続けられたからこそ、「私の魂をみ手に委ねます。」と息を引きとられたのです。私たち人類の罪を背負い、私たち人間の立場に立って、人間として父なる神にお詫びをするため、生命までなげうってくださったのです。なんという謙虚さと人類に対する愛でしょうか。
 私たちも色々な十字架を背負って生きています。自分の十字架が一番重いと感じることがあります。(実は他の人の十字架に比べると軽い。)そうした時私たちは十字架のイエズスを仰ぎ見ましょう。その時イエズスは言われるでしょう。「私もあなたの救いのためにこんな十字架を担ったのですよ。私が担ってあげるから心配するな。」と。カトリック病院の病室には十字架が掲げられているのはそのためです。家庭にあっても目線に入る所に十字架を掲げ、毎日十字架のイエズスを仰ぎ見るようにしましょう。

                                       梅原 彰 神父
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# by shukugawachurch | 2007-03-01 00:00

愛の共同体に成長しよう

 主イエズスのご降誕祭と新年のお喜びをお祝い申し上げます。
 私は当教会に赴任して、はじめてのお正月をお迎えします。教会にも慣れ、夙川教会の住人としての自覚と使命を感じています。私たちが神から賜わったカリスマを受けとめ、少しでもまわりの人々に役立つ人間としての歩みができるよう、お互い努力しましょう。
 神はその独り子を世に与えるほど、私たちを愛してくださいました。イエズスは十字架上で死ぬことによって私たちを購い、聖霊を私たちにお送りくださいました。それは私たちがキリストの心を私の心として、キリストが私たちを愛されたように、私たちも兄弟を愛するようになるためです。
 最後の晩さんの席上キリストは自ら弟子たちの足を洗い、遜りの姿を示して仕える者になられました。私たちもキリストと同じように人々に仕えるように模範を示してくださったのです。これはキリストの遺言でもありました。父なる神はキリストにおいて、人類を一つの家族になることを望んでおられます。
 私たちはこの神の要望に応えて、一人一人昨年よりもより一層愛の人に変貌しなければなりません。そして夙川教会の共同体全員が愛の人に成長するよう祈って止みません。初代教会の信者たちは「みな一つとなって、すべての物を共有し、財産や持ち物を売り、それぞれの必要に応じて、みんなでそれを分配していた。」(使徒書二・四四~四五)そのキリスト者の姿を見て、人々は感嘆しあのキリスト者たちはキリストさんのようだと高い評価をしたのです。そのような行動が出来たのも「彼らが使徒たちの教えを守り、兄弟的交わりを大切にし、パンを手で分け、祈りをしていた。」(使徒書二・四二)からです。信者がすべての物を共有し、金持ちと貧しい人の区別がなくなつていたのです。
 人間らしい生活をするために、必要なものに事欠く人がいなかったのです。教会が発展していくと、秘跡の執行とみことばの宣教と愛の実践が教会の宣教活動の原動力となったのです。そのためやもめや孤児、病人や困っている人を愛することは教会共同体の基本的姿勢となったのです。
 私たちも自分の回りの困っている人や病人、高齢者等に対して、無関心とならず、積極的に関わりを持って愛する信仰者として生きていくよう努めましょう。

                                    梅原 彰 神父
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# by shukugawachurch | 2007-01-01 00:00

これがクリスマスです

 イギリス、ビクトリアの有名な女王の夫、アルバートは国王と金持ちのいずれでもありませんでした。それなのに、本当にビクトリアはアルバートを愛していました。
 ある日、口論の後に、アルバートは自分の部屋に行って、そしてドアを閉じました。少し後で、女王、ビクトリアはアルバートの部屋に行きました。ドアをノックしてアルバートが答えました‥
 「誰ですか?」
 「イギリスの女王」とビクトリアが言いました。
 ドアは閉じられたままでいました。
 再びドアをノックしました。
 「誰ですか?」
 「イギリスの女王」
 静寂。
 同じようにビクトリアは何回もしましたが、ドアは閉じられたままでいました。
 最後に、ビクトリアは 『誰ですか?』という質問にこう答えました‥
 「私はあなたの妻、ビクトリアです。」
 ドアはすぐに開きました。
 何度も、神は人間のドアにノックしました。
 『誰ですか?』という質問に、何回もこう答えました‥
 「私はあなたの神です。」
 けどれもドアは常に閉じられたままでいました。
 最後に、クリスマスの日に、神がこう答えました‥
 「私はあなたの兄弟、イエスです。」
 ドアはすぐに開きました。
 神様は愛するために私達を創造しました。
 神様は私達をこのままで愛しています。
 たとえ私達が金持ちではないとしても、彼は愛しています。
 たとえ私達が国王でないとしても、彼は愛しています。
 たとえ私達が聖人ではないとしても、彼は愛しています。
 たとえ私達が自分自身を愛さないとしても、彼は愛します。
 彼は神としてではなく私達と一緒であることを望んでいます。なぜなら私達は神として彼を恐れて心のドアを開けませんから
 彼は兄弟の間で兄弟として付き合うことを望んでいます。
 すべての人間がただ1つの大きい家族であることを望んでいます。
 このクリスマスには、私達の兄弟、イエスを再発見しましょう。
 このクリスマスには、世界中で私達のすべての兄弟を再発見しましょう。
 差別と暴力を止めましょう。
 神と一緒に人間性のある大きい家族を作りましょう。
 何を待っていますか?
 これがクリスマスです。

                                      ジョヴァンニ 神父
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# by shukugawachurch | 2006-12-01 00:00

死者のために祈ろう

 11月になると秋も深まり、木々の緑も紅葉し落葉樹が風に吹かれて落ちていく姿を見ていると、なんとなく物寂しさを感じます。自然界の四季の移り変わりは毎年訪れるものですが、それは自然界が私たち人間に「あなたもいつの日かこの世から去るべき時があるのですよ。自分の死について、又死後の世界について考えなさいよ。」と呼びかけているように感じます。こうした時に教会は11月を死者の月と定め、すでにこの世を去った人々のために祈ると共に、自分の死について考えるように呼びかけているのです。私たちは毎週日曜日のミサの中で死者のためにお祈りを捧げますが、11月は特に亡くなった親、兄弟、親戚、友人、恩人の方々のため祈りを捧げたいものです。帰天してまっすぐ天国に入った人たちには祈ってあげる必要はありませんが(そのような人は少ないのでは)、煉獄に入った人たちは心の清めを受けて早く天国に入りたいのです。しかし自力ではどうすることもできません。そのため私たち地上に生きている者が死者のための祈りや犠牲、善業をその方々のために捧げてあげることにより、いち早く天国にあげられるのです。その意味で功徳を死者のために捧げることは素晴らしい愛の業といえます。聖書にも「死者のために祈ることは益がある。」と善かれています。
 マリア・シンマという女性(オーストリア人)は神の特別な賜物によって50数年前から煉獄にいる霊魂の訪問を受けた人です。この霊魂たちが彼女に何を頼んだと思いますか。「大抵の場合ミサをあげてくれるように。またロザリオを唱えてくれるようにとか十字架の道行をするようにと頼むのです。」と答えています。霊魂を煉獄から救い出すのを助ける1番効果的な方法はミサを捧げることです、と答えています。ミサはキリストが私たちへの愛のゆえにご自身をお捧げになることであり、キリストがご自身を神にお捧げになるので、それは最も完全な奉献なのです。今月は特に亡くなった親しい人のため、ミサを捧げましょう。きっと煉獄におられる人々は喜び感謝されるにちがいありません。


  「煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣」
  シスター・エマヌエル著  中尾純子訳 参照

                                         梅原 彰 神父
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# by shukugawachurch | 2006-11-01 00:00