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カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch
                                                       
マルセリーノ 春名昌哉神父


 8月15日から24日まで、スペインのマドリードで行われたワールドユースデー(Warld Youth Day)に参加しました。私にとっては16年前のマニラ大会に参加して以来、本当に久しぶりのワールドユースデーでした。16年前は青年として、今回は同伴者としての参加でした。
 ワールドユースデーは前教皇、ヨハネ・パウロ二世の呼びかけで1985年に始まり、それ以来2.3年ごとに開かれてきました。毎回世界各地から大勢の青年たちが参加します。私が参加したマニラ大会には約400万人、今回のマドリード大会は約200万人の青年たちが集まりました。教皇様を中心として青年たちが集まり、祈りとカテケージス、分かち合いを中心にして交わりを深めていきます。
 今回も世界各国の青年たちと豊かな交わりの時間を持つことができました。言葉の壁は存在しますが、同じキリスト者として信仰によって深く結ばれている、教会は一つであることを肌で感じることができました。そこで出会った多くの青年たちが私たちに、「日本は大丈夫ですか「復興はどのぐらい進んでいますか」「私たちも日本のためにお祈りしています」という温かい言葉をかけてくれました。世界の人たちが日本のことを心にかけてくれていることを、本当にありがたく感じ、力づけられました。
 このような出会いを通して青年たちは、自らの信仰と向き合い、それを深めていきます。私も16年前に同じことを感じました。もし、マニラ大会に参加していなければ、私は果たして司祭になっていただろうかと思います。それほどの大きな体験を青年たちはワールドユースデーから得ることができます。
 次回のワールドユースデーは2013年7月にブラジルのリオデジャネイロで開催されます。次の世代の教会を担う青年たちが、一人でも多く参加してくれることを望んでいます。彼らがワールドユースデーに参加することによって、キリストに従って歩む心をより豊かなものとすることができますように。






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# by shukugawachurch | 2011-10-02 00:00
                                                       
コーナン・ミシェル 神父

 今年の夏もやっぱりいつもの通り暑かったですね。蝉は喜んで神様の栄光を歌っていた。学校の休みを楽しんで、子供たちはプールに行ったり、お友達と遊んだりして、宿題を忘れがちだったかもしれません。お盆にあたり、遠くに住んでいる親戚や友人が故郷に戻って来て、出会いの喜びを味わう機会も与えられたことでしょう。
 でも、それは喜びの時だけではなくて、難しいあるいは辛い時もあったかもしれません。暑さのあまり、病院に通うことや人とぶつかってイライラすることによって、平安を失う経験もあったでしょう。人間の気持ちは変わりやすいものです。
 喜びとは何でしょう?大変な試練を何回も迎えた聖パウロの言う“喜び〟は環境とか時とかによって変わることではないみたい。『いつも喜びを忘れずにいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、神が、キリスト・イエスによって、あなたがたに望まれることなのです。』(‐テサロニケ5、16-18)。
 8月15日の被昇天の祝いの日に、マリア様は、この聖パウロの言葉をどういう風に読んでいただろうかとふっと考えました。イエス様がファリザイ派から攻撃された時、やっぱりご受難の間と十字架のもとに、マリア様は喜ぶことができただろうかと。
 歓喜とパウロの言う福音的な喜びとは違うのです。パウロが言っているのは、本能的な現れの喜びと違う、どんなときにも信じる気持ちから出る平和と落ち着きと希望につながれた心の安定した状態ではないでしょうか?それはまずキリストのくださる恵みでしょう。十字架のもと立っておられたマリア様はその恵みを受けられていたでしょう。
 ラジオやTVのニュースの大部分には社会問題の暗いところが強調される傾向がありますが、世の中にあって、キリスト者として、しっかりとした本当の喜びを示す責任が教会にあると私は思います。皆様にもそのような喜びを絶えず自分の環境の中に伝えてくださるように祈ります。
 “新しい一日を、喜びと希望のうちに迎えましょう。一日は、神さまの親切な贈り物です〟
                                                    サールの聖フランシスコ







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# by shukugawachurch | 2011-09-04 00:00
                                                       
ペトロ 梅原 彰神父


 私は11年半前胃の全摘出をし、食べることに大変苦労しました。こんな状態で生きていけるのかと思い悩みました。やっと食べることに何とか自身がついたころ、何と今度は膵臓癌になっていました。3年半後のことでした。このときは医学全書も読み、5年生存率は10%以下であることを知り、それなりの覚悟はしました。しかし生きる希望を持ち、全てを神に委ね、医者のすすめるままに、抗癌剤を4年間飲み続け、大した副作用もなく、5年が過ぎ去りました。今日まで生き続けられたのが奇跡的です。その後も2カ月に一度の癌の転移をチェックして、血液検査(腫瘍マーカー)をし、健康管理に最善を尽くしてきたつもりです。ところが一つの落とし穴がありました。消化器系のチェックはしていましたが、下、前立腺のチェックは2年程前にして、あまり気にしていませんでした。頻尿もなく、夜中にトイレにしまばしば行くわけでもなく、安心していました。しかし前立腺の腫瘍マーカーの検査をしておこうと思い、2月に検査をした結果PSAの値いが4・87と標準値より少し高く、その2ヶ月後の4月には6・1と高く泌尿器科に行き診察してもらい、MRIもとり、よくわからないので生検をし、組織を採取したところ10ヶ所のうち4ヶ所に癌が見つかりました。骨に転移していないかを調べるため骨シンチグラムを受けたところ転移が見られました。癌が見つかった時から先生はホルモン療法をすすめられリュープリンという薬を月1回注射し、毎日1錠のホルモン剤を飲んで治療することになりました。手術も放射線治療も無理でホルモン療法のみが有効であるとのことです。近々阪大病院へセカンド・オピニオンを求めて行く予定です。過去2回大手術を受けて今日まで生かさせてもらったので、今回の癌にも負けることなく、1日でも長生きできるよう前向きに生きていきます。人はいつかは死ぬわけです。私も死を安らかに受容できるよう祈っています。当教会にも癌や他の病気で苦しんでおられる方々がおられます。私は神からいのちをいただき、73年も生かされたことを感謝しています。私たちはこの世で生きようと、キリストのいのちに結ばれて生きているのです。神のみ旨にすべてを委ねて、生きていくことこそ私たち信仰者の生き方です。信徒のみなさんも十分健康に留意され、神のみ旨を大切に生きてください。





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# by shukugawachurch | 2011-07-03 00:00

津和野の静寂と殉教

                                                       
マルセリーノ 春名昌哉


 先日、久しぶりに津和野を訪れました。津和野は学生の時から教区の中高生津和野巡礼のリーダーとして、またプライベートでもたびたび訪れました。私はキリシタン史に興味を持っており、神学校の卒業論文もキリシタンに関するテーマで書きましたが、そのきっかけとなったのは津和野を訪れたことでした。元々歴史好きなこともありましたが、その時に殉教の歴史に触れ、自分の信じている宗教の歴史を知りたいと考えるようになったからです。調べてみると日本の宣教の歴史は苦難の連続であったことを知りました。
 日本における殉教と言うと、江戸時代初期のことではるか昔のことと感じるかもしれません。しかし、津和野の殉教は明治に入ってから、まだわずか140年前のことなのです。
 江戸時代が終わり明治維新を迎えたとき、政府は江戸時代から続いていた禁教令を継続しました。そのために浦上のキリシタン約3400人が流罪となり、西日本各地に配流されました。津和野もそのうちの一つで、
153人のキリシタンが送られました。真冬の氷の張った池に突き落とされる、三尺牢、最低限の食事など、津和野での拷問は非常に厳しいもので、36人が殉教しました。
 そのような中にあってキリシタンたちは、お互いに励まし合い、助け合いながら、いつも神が共にいてくださると信じ、信仰を守り通しました。中には拷問に絶えられず転んだ(信仰を捨てること)人々もいましたが、彼らは耐え続ける仲間たちに役人に見つからないように食事を届けるなどして支え続けました。最終的に解放されてキリシタンたちが浦上に帰ったのは明治6年のことでした。
 非常に苦しいい状況でも、キリシタンたちは決して希望を捨てず、神を信頼し続けました。苦しみの中にも希望を見出し、命をかけて信仰を守りました。私たちもキリシタンたちの信仰に学ぶ必要があります。私たちの日常生活の中にも理不尽とさえ思えることが起こります。そのような中にあっても希望を失うことなく、まっすぐに神に向かって歩んでいくことができるように祈り求めていきましょう。






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# by shukugawachurch | 2011-06-05 00:00

EASTER 2011

                                                       
コーナン・ミシェル神父


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# by shukugawachurch | 2011-05-05 22:35