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カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch
 
ミサの奉納のとき、私たちはパンとぶどう酒を捧げます。ユダヤ人にとってパンとぶどう酒は日々の労働の実りであり、喜びのしるしです。パンは生きる力、働く力を与えます。奉納のとき、パンとぶどう酒を捧げることは労働(生活)の苦しみと喜びを捧げることを表わしています。このパンとぶどう酒が聖変化のとき、キリストの体と血に変化するのです。このキリストの体と血を拝領することによって完全なかたちで、聖体にあずかるのです。キリストが聖体について前もって教えられたとき「私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物だからである。」(ヨハネ六章)と。そして最後の晩さんの席上「皆取って食べなさい。受けて飲みなさい。これは私の血である。」と言われました。それではどうして現代の私たちは御血を飲むことをしなくなったのでしょうか。初代教会のキリスト者も御血に対する愛と尊敬から御血を拝領していました。典礼の歴史の流れの中で以下のような理由で御血の拝領が遠ざかったようです。
一、同じ杯から御血を拝領することにより、伝染病が広まるという衛生上の問題。
一、御血をこぼすという不敬のおそれ。
一、御血の拝領によりミサの時間が長くかかるという時間上の問題。
 又キリスト者が増え高齢者、子供たちもいて、彼らの両形態による拝領は遠慮され、その習慣は徐々に廃れて、御血の拝領は司式者のみに留保されたようです。ミサ以外での聖体礼拝も御体の顕示、礼拝、祝福のため用いられて行きました。御体の聖体拝領だけでも、救いに必要な恩恵を何ら失わないし、効果も変らないことはいうまでもありません。キリストは両形態のどちらにも全面的に現存しておられるのです。第二ヴァチカン公会議は次のように述べて両形態での聖体拝領を許可しています。「両形態による聖体拝領は使徒座が規定する種々の場合に、聖職者にも修道者にも、また一般信徒にも、司教の判断によって授けることができる。」と両形態の下での拝領は許可されただけでなく、奨励されています。日本司教団も許可しています。そのため今後当教会では以下の様式で日曜日のミサのとき両形態の聖体拝領を実施いたします。
 (六月一日より)
一、御体を手に受けとり「アーメン」と答え、司式者の横にいる聖体奉仕者の持つ杯に浸していただく。御血を床に落とさないよう細心の注意をはらう。
一、祭壇の上に置かれている左右の杯を手に取り、少量を飲み唇がついたカリスの部分をブッフィカトリウム(布)でぬぐう。勿論今まで通り御体のみの拝領も自由である。

梅原 彰 神父


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# by shukugawachurch | 2008-04-01 00:00

復活祭:世界の春。

恋人よ、美しいひとよ、
さあ、立って出ておいで。
ごらん、冬は去り、雨の季節は終わった。
花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。
この里にも山鳩の声が聞こえる。
いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。
恋人よ、美しいひとよ
さあ、立って出ておいで。
岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ
姿を見せ、声を聞かせておくれ。
お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。 雅歌2:10-14

聖書の雅歌の著者にとって春の更生が詩の最高のインスピレーションです。あの当時まだ人間の社会が深く自然と結び付けたので自然のリズムによって生きていた。けれども私たちも、現代の人間なのに、春の魅力を無視することがなかなかできません。特に春との復活祭の結び付きを気付くのを避けることができません。実は、復活祭の日にちは春分によって決められています。こういうわけで、最初の教会によると復活祭が世界の春として描かれていました。春に自然は目が覚めて、起きて、息をして、走ります。同じように私たちの世界は復活祭にイエス様の復活を通していのちの意味に目が覚めて、聖霊によって起きて、新しくて止まられない命が始まります。
復活したイエス様との出会いの話の中でペトロとヨハネと夫人たちがみな走っています。復活前の世界と復活後の世界が全然違うから。全部変わりました。復活後の世界にはいのちと意味と目的があります。冬の暗闇がなくなりました。イエス様の光は私たちの世界を照らしています。救われた人間がイエス様の光の中で走っています。悪が負けました。これから悪はこの新しく走っている世界を止められません。
この復活の大きな喜びは鳥の歌のようにみなに告げ知らせるべきです。キリスト者は春の花のように香るべきです。実を結ぶべきな季節になりました。聖霊をたっぷり呼吸してイエス様である道を一生懸命走りましょう。

 ジョヴァンニ 神父

            
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# by shukugawachurch | 2008-03-01 00:00

四旬節はつらい?

           コーナン神父
"新春"ような美しい言葉を耳にすると心はずむ喜びが生じてきます。反対に冷たく暗い感じを与える言葉もあります。"四旬節"はその一つでしょう。灰の水曜日から(本年2月6日)、日曜日を除いて、聖土曜日まで40日間も長く続くこの期間を楽しく迎える気にとてもなれないものです。でも、信仰の目で見れば、一番大事な救いの喜びをいただくときではないでしょうか?
 四旬節というと、"断食・犠牲と祈り"の3つの業が浮かんできます。しなければならないと思うと、辛いものですが、それを心をこめて捧げると、教会とともに聖なる3日間に向かって歩んでゆく効果的な期間になります。
 よい四旬節を過ごすよう、自分が神さまとそして同時に他の人へ近づいていくように、ヒントを紹介しましょう。
・こころから祈ること。例えば、電車に乗って、散歩しながら、家事をこなしながら。あるいは、仕事や宿題を始める前に。
・日曜日ごとの「聖書と典礼」のみ言葉の一節を選んで味わいながら、その過の自分の霊的な糧とすること。
・毎日、他人のために、頼まれる前に自発的によい業を一つ行うこと。
・他人から書を受けたり、不愉快なことを言われた時、怒ったり攻撃したりする前に、ちょっと聖書の助けを頼むこと。(自分の気持ちを抑えるよりも、聖霊の力によって心を変えていただいたほうがいいでしょう?)
・自分に必ずしも必要でないのに、自分の欲望を満たすために高価なものを買ってしまった時、その値段の数パーセントを分かち合いの心で、貧しい人とか、失業者とか、施設にいる子どもとかのために、四旬節献金をしたり、福祉団体に献金したりすること。
・あの人に電話したら喜ぶ、訪問したら善いと、常々思っていることを実行すること。
・からだのゆるす限り、献血をすること。(命を救うことに協力できるでしょう!)
などなど…。よい業を行うことによって、神さまに喜んでいただくと同時に、自分の心が少しずつ清められて、主の復活の大きな救いの喜びを深く味わうめぐみをいただくのです。思い切って、辛いと思っていた四旬節を深い霊的な訓練の期間に変えてみませんか?

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# by shukugawachurch | 2008-02-01 22:29
 明けまして、おめでとうございます。
今年は当教会にとって、大きな変革の年になります。一年前から小教区評議会規約検討委員会が発足し、池長大司教様の意向に従って、教会が活性化されるため、また宣教活動が充実されるため、その根幹をなす規約の見直しが行われてきました。四月より規約が新しくなります。今まで小教区評議会の評議員は壮年会、婦人会、青年会より代表を選出していました。しかし年を重ねるに従って選出が難かしく、又同じ人たちによって運営される感じがありました。しかし小区の発展性や成長性を考えた時もっと各方面から委員が選ばれた方が望ましいという意見もありました。そこで今まで当教会が五地区に大きく分割されていましたが、今後は十七地区に細分化され、各地区より原則男女二名が選出され、34名の方々が評議員になっていただき、司祭修道者と一しょに小教区の運営を行うようになります。そのためにはまず地区集会を地区ごとに開催し、地区の方々の横の繋がりを深めていただきたく思います。
年に三、四回は各地区とも地区集会を開き、親しさを増していきましょう。信仰は神様と結ばれるだけでなく、信徒同志も仲よく結ばれ、一しょに歩んでいかねばなりません。地区集会にはお互い誘い合って参加してください。地区集会は家を開放してくださるか、無理な地区は教会で開催してください。地区集会は独自の方法で運営してください。基本的には祈り(ロザリオを含む)聖歌、聖書朗読と分ち合い、カトリック新聞や雑誌の話題のあるテーマでの話し合い、地区信徒の情報交換や教会への提案事項、小教区評議会の報告等です。
小教区評議会には宣教、典礼、財務、社会活動、広報、行事等の各種委員会がありますが、各地区より選出された評議員の方々が各種委員会の委員長、副委員長を担っていただき、それぞれの委員は全信徒の中から自主的に協力していただかねばなりません。信徒各自は自覚をもって「私も教会員として一役を荷なおう」と積極的にどこかの委員に名を連ねてください。各種委員会は七、八名で構成されればと思います。
レジオ・マリエや麦の集い等自主的なグループは教会活動の一躍を荷なっているのですから、代表者は評議会に参加できますが議決権はありません。評議会で連絡したいこと、協力して欲しいことは発言していただき、又評議会の内容を各グループによりよく知らせる役割を持っています。今年は意識改革をして、みんなで教会をもりあげ、福音宣教に協力しましょう。

梅原 彰神父

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# by shukugawachurch | 2008-01-01 00:00

天使の歌

確かにクリスマスの夜は人間の歴史の中で一番美しい夜です。この夜には神様が人間に対しての愛を示します。イエス様はインマヌエルです。その名は 「神が我々とともにおられる」という意味です(マタイ1・23)。この夜には神様の愛が大きく広がります。これから神様の愛とともに生きていくべきと、再確認する夜です。
 本当に私たちが神様の愛以外にいのちの美しさを知ることができるのでしょうか?本当に神様の愛以外にいのちの意味を知ることができるのでしょうか?いいえ、絶対できません。私たちはいのちの意味を知るためには神様とともにいなければなりません。神様の愛を無視するといのちは星がない夜になり、天使の歌がない夜となります。
ルカの福音書にあるイエス様誕生の話は、私たちを驚かせます。神様が貧しい人として生まれた。馬小屋でイエス様が生まれた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである(ルカ2・7)。その夜には一般の人が別の用事で忙しくて神様が生まれたことに気がつきませんでした。天使以外に貧しい羊飼いだけでイエス様のために歌っていました。
本当に神様は想像できないほど人間を愛しています。私たちはこの限りない愛にどのように応えますか?どんな夜を選びますか?星がなくて静かな夜か?天使とともに歌う夜か?忙しくて泊まる場所がない夜か?自分のこころで神様を迎える夜か?そしてその夜のためにどのように準備しますか?どのように待降節を過ごしますか?たくさんの買い物をしたりパーティに行ったりしますか?毎日聖書を読んでどのように自分の生活を改めなければならないことを考えますか?どんな歌を選びますか?この世の歌か天使の歌か?
最後に、うまく天使の歌を歌うためには、練習しなければなりません。毎日このように歌わなければなりません
「いと高きところには栄光、
          神にあれ、
   地には平和、
     御心に適う人にあれ。」
この歌を通して本当のいのちの意味と美しさを知ることができます。

ジョヴァンニ 神父
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# by shukugawachurch | 2007-12-01 00:00