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カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

愛の共同体に成長しよう

 主イエズスのご降誕祭と新年のお喜びをお祝い申し上げます。
 私は当教会に赴任して、はじめてのお正月をお迎えします。教会にも慣れ、夙川教会の住人としての自覚と使命を感じています。私たちが神から賜わったカリスマを受けとめ、少しでもまわりの人々に役立つ人間としての歩みができるよう、お互い努力しましょう。
 神はその独り子を世に与えるほど、私たちを愛してくださいました。イエズスは十字架上で死ぬことによって私たちを購い、聖霊を私たちにお送りくださいました。それは私たちがキリストの心を私の心として、キリストが私たちを愛されたように、私たちも兄弟を愛するようになるためです。
 最後の晩さんの席上キリストは自ら弟子たちの足を洗い、遜りの姿を示して仕える者になられました。私たちもキリストと同じように人々に仕えるように模範を示してくださったのです。これはキリストの遺言でもありました。父なる神はキリストにおいて、人類を一つの家族になることを望んでおられます。
 私たちはこの神の要望に応えて、一人一人昨年よりもより一層愛の人に変貌しなければなりません。そして夙川教会の共同体全員が愛の人に成長するよう祈って止みません。初代教会の信者たちは「みな一つとなって、すべての物を共有し、財産や持ち物を売り、それぞれの必要に応じて、みんなでそれを分配していた。」(使徒書二・四四~四五)そのキリスト者の姿を見て、人々は感嘆しあのキリスト者たちはキリストさんのようだと高い評価をしたのです。そのような行動が出来たのも「彼らが使徒たちの教えを守り、兄弟的交わりを大切にし、パンを手で分け、祈りをしていた。」(使徒書二・四二)からです。信者がすべての物を共有し、金持ちと貧しい人の区別がなくなつていたのです。
 人間らしい生活をするために、必要なものに事欠く人がいなかったのです。教会が発展していくと、秘跡の執行とみことばの宣教と愛の実践が教会の宣教活動の原動力となったのです。そのためやもめや孤児、病人や困っている人を愛することは教会共同体の基本的姿勢となったのです。
 私たちも自分の回りの困っている人や病人、高齢者等に対して、無関心とならず、積極的に関わりを持って愛する信仰者として生きていくよう努めましょう。

                                    梅原 彰 神父
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# by shukugawachurch | 2007-01-01 00:00

これがクリスマスです

 イギリス、ビクトリアの有名な女王の夫、アルバートは国王と金持ちのいずれでもありませんでした。それなのに、本当にビクトリアはアルバートを愛していました。
 ある日、口論の後に、アルバートは自分の部屋に行って、そしてドアを閉じました。少し後で、女王、ビクトリアはアルバートの部屋に行きました。ドアをノックしてアルバートが答えました‥
 「誰ですか?」
 「イギリスの女王」とビクトリアが言いました。
 ドアは閉じられたままでいました。
 再びドアをノックしました。
 「誰ですか?」
 「イギリスの女王」
 静寂。
 同じようにビクトリアは何回もしましたが、ドアは閉じられたままでいました。
 最後に、ビクトリアは 『誰ですか?』という質問にこう答えました‥
 「私はあなたの妻、ビクトリアです。」
 ドアはすぐに開きました。
 何度も、神は人間のドアにノックしました。
 『誰ですか?』という質問に、何回もこう答えました‥
 「私はあなたの神です。」
 けどれもドアは常に閉じられたままでいました。
 最後に、クリスマスの日に、神がこう答えました‥
 「私はあなたの兄弟、イエスです。」
 ドアはすぐに開きました。
 神様は愛するために私達を創造しました。
 神様は私達をこのままで愛しています。
 たとえ私達が金持ちではないとしても、彼は愛しています。
 たとえ私達が国王でないとしても、彼は愛しています。
 たとえ私達が聖人ではないとしても、彼は愛しています。
 たとえ私達が自分自身を愛さないとしても、彼は愛します。
 彼は神としてではなく私達と一緒であることを望んでいます。なぜなら私達は神として彼を恐れて心のドアを開けませんから
 彼は兄弟の間で兄弟として付き合うことを望んでいます。
 すべての人間がただ1つの大きい家族であることを望んでいます。
 このクリスマスには、私達の兄弟、イエスを再発見しましょう。
 このクリスマスには、世界中で私達のすべての兄弟を再発見しましょう。
 差別と暴力を止めましょう。
 神と一緒に人間性のある大きい家族を作りましょう。
 何を待っていますか?
 これがクリスマスです。

                                      ジョヴァンニ 神父
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# by shukugawachurch | 2006-12-01 00:00

死者のために祈ろう

 11月になると秋も深まり、木々の緑も紅葉し落葉樹が風に吹かれて落ちていく姿を見ていると、なんとなく物寂しさを感じます。自然界の四季の移り変わりは毎年訪れるものですが、それは自然界が私たち人間に「あなたもいつの日かこの世から去るべき時があるのですよ。自分の死について、又死後の世界について考えなさいよ。」と呼びかけているように感じます。こうした時に教会は11月を死者の月と定め、すでにこの世を去った人々のために祈ると共に、自分の死について考えるように呼びかけているのです。私たちは毎週日曜日のミサの中で死者のためにお祈りを捧げますが、11月は特に亡くなった親、兄弟、親戚、友人、恩人の方々のため祈りを捧げたいものです。帰天してまっすぐ天国に入った人たちには祈ってあげる必要はありませんが(そのような人は少ないのでは)、煉獄に入った人たちは心の清めを受けて早く天国に入りたいのです。しかし自力ではどうすることもできません。そのため私たち地上に生きている者が死者のための祈りや犠牲、善業をその方々のために捧げてあげることにより、いち早く天国にあげられるのです。その意味で功徳を死者のために捧げることは素晴らしい愛の業といえます。聖書にも「死者のために祈ることは益がある。」と善かれています。
 マリア・シンマという女性(オーストリア人)は神の特別な賜物によって50数年前から煉獄にいる霊魂の訪問を受けた人です。この霊魂たちが彼女に何を頼んだと思いますか。「大抵の場合ミサをあげてくれるように。またロザリオを唱えてくれるようにとか十字架の道行をするようにと頼むのです。」と答えています。霊魂を煉獄から救い出すのを助ける1番効果的な方法はミサを捧げることです、と答えています。ミサはキリストが私たちへの愛のゆえにご自身をお捧げになることであり、キリストがご自身を神にお捧げになるので、それは最も完全な奉献なのです。今月は特に亡くなった親しい人のため、ミサを捧げましょう。きっと煉獄におられる人々は喜び感謝されるにちがいありません。


  「煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣」
  シスター・エマヌエル著  中尾純子訳 参照

                                         梅原 彰 神父
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# by shukugawachurch | 2006-11-01 00:00