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カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

10月はロザリオの月

                                                       
ペトロ 梅原彰 神父

 昔からキリスト者に愛され親しまれたロザリオが、衰退してきているのではないでしょうか。ロザリオは持っているが、唱えるキリスト者が減少しつつあるように思えてなりません。日本二十六聖人殉教者は、冬の寒い中、長崎へ絣かすりの着物を着て、口々にロザリオの祈りを唱えながら、西坂の丘までの殉教の旅を続けたのでした。
 私は大阪小神学校にいた時、毎晩1環のロザリオを神学生と一緒に唱えたことを懐かしく思い出します。私の小教区の司祭はカナダ人のレデンプトール会修道者で、毎日3環のロザリオを散歩しながら唱えておられました。
 マリア様がルルドにご出現になった時、腕にはロザリオが掛けられていました。ベルナデッタは同じようにロザリオを取り出し、一生懸命唱えました。彼女がロザリオを唱え終わると、不思議とその姿は消えていました。聖母マリアは、ベルナデッタの前に18回お現れになり、ロザリオの祈りを唱えるよう望まれました。
そのルルドにおいて多くの病人が癒され、世界的に有名な巡礼地となり、全世界から毎年500万人の巡礼者が集まります。そしてシーズン中は毎晩、ろうそく行列が行われ、参加者一同、ロザリオの祈りを唱え、「アヴェ・アヴェ・アヴェ・マリア」の歌を各国の巡礼団全員が一緒に歌うのです。その時は本当にキリスト者の一体感を感じ、感激します。
 ロザリオの祈りは個人的にも、また家族一緒に、また友人2~3人と唱えることが勧められます。大人も子どもも、歩きながらでも、バスを待っている時も、どこででもロザリオの祈りを唱えることができます。
 一日の中でロザリオを唱えなかった時は、せめて寝ながら唱えてください。1連唱え、寝てしまってもかまいません。後の4連は守護の天使が唱えてくれるという、昔からの言い伝えがあります。ロザリオは自分の救霊のため、友人や身内のため、病人や亡くなった方々のためにも有効な素晴らしい行いです。
 この10月はロザリオの月ですので、心して多くのロザリオの祈りをお捧げしましょう。
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# by shukugawachurch | 2018-10-01 00:00
                                                       
グエン・シン・サック 神父


 感謝の祭儀(the Eucharist=Holy Mass=Missa)は教会の信仰生活の頂点であり、恵みの源です。なぜなら、感謝の祭儀ほど偉大で価値のあるものはないからです。
 感謝の祭儀は、主イエスがご自分の死と復活の前に行われた二つの出来事の再現です。それは、主イエスが最後の晩餐の時に、聖体の秘跡と叙階の秘跡を制定されたことです。そして、次の日、十字架上でのご自分の死という偉大な供え物によって大祭司になられた記念でもあります。
 最後の晩餐で、主イエスはパンとぶどう酒をご自分の肉と血に変化させ、弟子たちに与え、「わたしの記念としてこのように行いなさい」(ルカ22・19)と言われました。まず、後継者である使徒たちにこの秘跡を与え、司教そして、協力者である司祭たちが毎日供え物を捧げて秘跡を再現し続けるように仰せになったのです。感謝の祭儀は主イエスが偉大な大祭司として聖体の秘跡を制定し、ご自分を十字架上の供え物として捧げられたことを再現するのです。
 最後の晩餐で主イエスはパンを取り、感謝を捧げ、割って、弟子に与えて仰せになりました(第1奉献文)。主イエスは全人類ためにご自分を捧げることを受け入れ、御父に感謝されます。ですから、感謝の祭儀の度に祭壇で、十字架上の供え物を通して、「キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです」(1コリント5・7)とあるように、「世の救いのわざを実現されるのです」(典礼憲章3)。
 主イエスは屠られる小羊のようにご自分を捧げ、十字架上で「兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た」(ヨハネ19・34)のです。前の晩に、弟子たちに杯を与えたとき、主イエスは「この杯はわたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」(1コリント 11・25)と言われました。だから、感謝の祭儀には、いつも主ご自身がおられ、当時の人々の罪を贖われたように、今も贖い主として、私たちの罪を贖ってくださっているのです。十字架上で救いの血が流されたように、今もミサを通して、私たちを救うために血を流されています。ただ、それは秘跡的に行われているので、人間の目には見えませんが、教会は私たちに、救いの血について教え続けています。
 感謝の祭儀は教会の典礼の儀式を通して、主キリストが全人類の罪の贖い主として捧げられた供え物と最後の晩餐の出来事を、今も祭壇で再現しているのです。したがって、感謝のミサは、神様のみ旨にかなう最も偉大な崇拝であり、救いの儀式なのです。主キリストと共に、主キリストの取り次ぎによって、主キリストの司祭職に与る司祭(ordained ministers)を通して、御父に捧げられているのです。
 感謝の祭儀にはこのような大きな霊的な価値と意味があるため、一人ひとりの信徒はミサに与るよう招かれています。ミサを通して、私たちは主イエスによって、主イエスと共に御父に自分自身と、すべての苦しみ、悲しみ、弱さなどを捧げて、自分と他の人のためにゆるしと祝福を受けるのです。
 以上、感謝の祭儀の意味と恵みについて述べました。感謝の祭儀が「主と人類の契約」(典礼憲章10) と呼ばれる理由もここにあります。



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# by shukugawachurch | 2018-09-01 00:00
                                                       
ペトロ 梅原 彰 神父

 聖母マリアの祝日は一年間に数多くありますが、中でも私たち日本人にとって最も喜ばしく、懐かしいのは、聖母マリアの被昇天の祭日です。初めてキリストのみ教えの種が日本に蒔かれたのは、鹿児島にフランシスコ・ザビエルが来日した1549815日の聖母被昇天祭の日です。この日ザビエルは日本を聖母マリアの聖心に奉献しました。それ以来、わが国民は終始、聖母に対して絶大な尊敬を捧げてきたのです。特に、世界の歴史にも類を見ない、豊臣、徳川幕府の長い迫害時代、キリシタンたちは殉教の場に引かれていく時はいつもロザリオを唱え、聖母マリアの連祷を唱えて足を運んだのでした。当時のカトリック信者が聖母マリアに対して、いかに深い信仰を持っていたかが察せられます。ザビエルの渡来後、多くの宣教師の努力により、わずか5060年間に100万人の信徒を数えたにもかかわらず、豊臣秀吉をはじめ徳川家康の治世には猛烈な迫害にほとんど全滅したかに思われたのでした。が、その300年近い迫害にもかかわらず、慶応元年、西暦1885317日に奇跡的な出来事が起こったのです。と言うのは、当時、外国人だけに信教の自由が認められていた時、建立された浦上天主堂を見学に来た人々の中に、カトリック信者が発見されたという出来事です。しかも、そのきっかけになったのが天主堂の聖母像であったということも不思議に思えるのです。

 当時の浦上天主堂の主任司祭はフランス人のプチジャン神父でしたが、その時の様子を教皇大使に次のように書き送っています。「317日の正午過ぎ、1415名の老若男女が聖堂の門の所に来たが、その様子は普通の見物人とは思えず、何か仔細ありげに見ていたので、門を開いて案内し、中央祭壇の前にひざまずいて聖体を礼拝していると、40歳あまりの婦人がひざまずき、胸に手を当てて、ここにいる我々は浦上の者で、浦上はおおむね皆、私たちと同じ心を持っていると言い、サンタ・マリアのご像はどこですかと尋ねたのです。これを聞いた私(プチジャン神父)は驚きと喜びでいっぱいで、聖母のご像の前に導いたのでした。するとその前にひざまずき祈ったのです。ほんとうにサンタ・マリアです。おん子ゼウスを抱いておられる、と叫び、我々は1225日に主ゼウスの誕生を祝う。ゼウスは真夜中にうまやで生まれ、艱難辛苦の内に成長し、33歳に我らのため十字架にかかって死去されたと先祖から聞いている、と話したのです。」これこそ聖母のご保護によるものと言わねばなりません。

 終戦が815日であったことも、特に聖母マリアが私たち日本人を見守ってくださっていることの印として受け取りたい気持ちがします。

 イエズスを宿した聖母マリアの尊い御体は、我々と同じように墓の中で朽ち果てることなく、霊化され、天に上げられ、栄光を受けられたのです。復活し昇天されたキリストは、その御母のお体を腐敗にまかせることを望まれないのは言うまでもありません。無原罪の御母、罪なき御母、十字架の協力者である聖母を早くもご自分の復活と昇天に完全にあやからせてくださったのです。キリストは「私はあなたがたを復活させる」と約束されました。この約束は必ず実現するわけですが、聖母マリアは特別なお恵みをもって、すでに霊肉ともに喜びに入っておられるのです。聖母マリアは、私たち人間の初穂として天国の喜びに入られたのです。

 マリアの被昇天は、私たちにとって遠く離れた出来事ではなく、私たち信仰者の終末的な完成を示すものです。


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# by shukugawachurch | 2018-07-01 00:00
                                                       
エリック 神父様

 417日に夙川教会の助任司祭として着任されたエリック神父様にお話しを伺いました。

〈お名前は?〉

 わたしの名前はEric Bautista de Guzman(エリック・バウチスタ・デ・グスマン)です。de Guzmanは名字で、Bautistaはミドルネーム(母の名字)です。Ericは下の名前で、洗礼名でもあります。de Guzmanはドミニコ会の創立者の聖ドミニコの名字でもあります。Bautistaはスペイン語で「洗礼者」という意味です。Ericはスウェーデン王のエリック九世、聖エリック殉教者(祝日は5月18日)の名前です。

〈お生まれは?〉

 1981年、フィリピンのマニラで生まれました。

〈ご家族は?〉

 6人兄弟の一番上です。弟が1人、妹が4人います。長女は結婚しており、6才の息子がいます。父は3年前に帰天しましたが、母が元気で、毎日、孫の世話をしています。

〈召し出しを感じたのは?〉

 小学6年生の頃、小教区立小学校の神父様がわたしに小神学校の入学試験の話をしてくださり、その頃から自分にも召命があるかと考えはじめました。

〈司祭になるまでの道〉

 2012年から今年まで、6年間、日本カトリック神学院で養成を受け、多くの方々のお祈りと励ましに支えられて、2018年321日に司祭叙階の恵みをいただきました。

〈司祭としてモットー〉

 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(ルカ146-47)。これはマリア様の歌、「マグニフィカット(Magnificat)」の冒頭のことばです。司祭としてのすべての言葉と行いを神様の栄光のためにささげたいと思います。

〈夙川教会の信徒に一言〉

 わたしを暖かい心で受け入れてくださり、いつも感謝しております。新司祭でわからないことがたくさんありますが、皆様と一緒に日々を楽しく過ごして参りたいと思います。これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

【略歴】
1981
910日 フィリピン・マニラで生まれる
2004
41日  来日

     日本政府文部科学省から奨学金を受け、山形大学理工学研究科に入学

200741日 住友電装に入社
2009
41日 在大阪・神戸フィリピン共和国総領事館に転職
2012
41日 日本カトリック神学院に入学
2017
320日 大阪カテドラル聖マリア大聖堂にて助祭叙階
2018
321 大阪カテドラル聖マリア大聖堂にて司祭叙階
2018
417 夙川教会に助任司祭として着任


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# by shukugawachurch | 2018-06-01 00:00

エマオへ旅する弟子

                                                       
ペトロ 楳原 彰 神父


 主イエスのご復活を心よりお祝い申し上げます。今年も13名の洗礼志願者が洗礼・堅信・聖体の秘跡を受けられ、夙川教会の共同体に加わり、私たちの家族に迎えられたのです。私 は復活祭を皆さんと共に味わいたいのです。

 イエスの復活された日曜日の夕方、二人の弟子の顔は暗く、悲壮感に満ちていました。それもそのはず、三日前に大きな期待を持っていた先生が、十字架にかけられ亡くなられたのです。彼らはイエスの説教を聴き、イエスが病人を癒し、死者を甦らせ、飢えた人にはパンを与え、イエスの力強さに感服していたのです。この方こそ救い主メシアであると信じていました。しかしイエスの十字架上の死によって、すべての希望が崩れ去りました。彼らはすべての希望を失い、諦めて、光のない生活に戻ろうとしていました。しかし彼らはイエスのことを忘れることができず、重苦しい足どりで夕暮れの道を歩きながらイエスのことを語り合っていました。突然、見知らぬ旅人が、彼らの傍そばを歩いてくださっていたのです。その旅人こそ実はイエスであったのですが、彼らは見知らぬ旅人に「私たちはあの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」と言ったのです。そこで旅人は彼らに「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことをすべて信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないのか」と。そして旅人は、モーセとすべての預言者の書から始めて、聖書全体にわたり、そのメシアについて書いてあることを説明したのです。二人の弟子が後で語り合ったように、この説明を聴きながら、彼らの心は燃え上がり始めました。三人がエマオに着いた時、ちょうど日が沈みかけていました。旅人は先に行こうとする様子だったので、二人は「いっしょにお泊りください」と旅人を家に泊まるように招くのです。

 食卓に着くとパンが出されました。すると突然、客として招かれた旅人がパンを手で分け、彼らに渡します。するとその瞬間に二人の目が開け、この旅人が復活したイエスにほかならないと彼らは悟るのです。弟子たちに復活の喜びをもたらすというイエスの目的は達成され、その瞬間、イエスは彼らの面前から消えたのです。この二人の弟子の心には大きな喜びの炎が燃え上がりました。彼らは長い旅の疲れを忘れ、エルサレムに走り帰ります。悲しみの心でエルサレムを去って行った時の二人の姿と、今喜び勇んで走り帰った彼らの姿との間には、どれ程の相違があったでしょうか。彼らは主がパンを手で分けた時、イエスだと分かった次第を他の弟子たちに話しました。弟子たちは皆すでに興奮しており、「本当に主は復活して、シモン・ペトロに現れた」ということを告げ、復活の喜びを分かち合ったのです。

 現代の私たちキリスト者も「主は復活された」と喜びを分かち合いたいと思います。

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# by shukugawachurch | 2018-04-01 00:00