カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch
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コーナン ミシェル 神父

 カトリックの聖堂はどこでも、優れた聖人が一人選ばれて、保護者となっております。たとえば東京麹町の聖イグナチオ教会は、イエズス会の有名な教会です。私たちの夙川教会は、以前は司教座でしたが、その保護聖人は若くして天に召されたフランスのリジューの幼きイエズスの聖テレジアです。

 第二バチカン公会議後、私たちの聖テレジアのご像は降ろされて長らく告解室の横に置かれました。久しぶりの聖堂でその様子を見て、聖テレジアがどんな悪いことをして降ろされるほどの罰を受けたのかと、不思議に思いました。

 最近、個人的な出会いや評議会で聖テレジアのご像について話し合い、アルコーブに戻しても良いだろうとまとまりました。聖テレジアは23歳で召された若き聖人ですから、専門家に任せて、像の右手の傷や顔などをきれいにしてもらいました。心だけでなく姿美しい女性として、ご像の聖テレジアは、私たちの捧げる祈りを聞いて受け止めて、美しいバラの花を贈ろうとしています。

 聖女として永遠の中に生きておられる聖テレジアは、私たちのために絶えず祈ってくださいます。右の手に持っておられるバラの花は、私たちの祈りを執りなしてくださった結果として神様のくださる恵みでもあります。

 皆様のくださった時間と経済的な助けのおかげで、私たちの保護者としての聖テレジアの優れた様子を再び仰ぎ見ることができるようになりました。だからこそ、私たちはより深く夙川小教区の発展を保護の聖人聖テレジアに祈り求めようではありませんか。先輩ブスケ神父が祈ったように。洗礼志願者が増えるように。今洗礼の準備をする志願者や私たちが神様の恵みによって清められるように。私たちの聖堂が聖なる巡礼地になるように。

 聖テレジア、私たちのために執りなしてください。


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# by shukugawachurch | 2017-03-01 00:00

気持ちのいい話

                                                       
ヨセフ 赤波江 豊


 ガンで入院していたある女性の信者さんを訪問した時のことです。その方は私が前回訪問した時のことを話してくれました。
 前回私がその方と話して共に祈って部屋を失礼した後で、同じ病室のお隣の女性の方が私たちの話や祈りを聴いて、「何かすごくいい気持ちになりました」と話したそうです。その病室は相部屋で、お隣とはカーテンで仕切られているだけです。普通このような部屋で話すときは隣の方の迷惑にならないように小さな声で話しますが、それでも聞こえていたのでしょう。その方も別に私たちの話を盗み聞きするつもりはなかったのでしょうけれど、静かに響いてくる声につい聴き入ってしまったのかもしれません。その時、特別なことを話した記憶はありませんが、確かこのような話をしたと思います。
 「年を重ねて病気になり、やがていつか人生の最後を迎えなければならないことは、確かに時々辛く感じるが、それは自然なことであり、人間であることの条件だ。決して倫理的に悪いことではない。私自身も体に故障が増えてきた。もちろん私たちは病気の回復を願うが、今日はもっと大切なことを神に感謝しよう。それは私たちに命が与えられ、今に至るまでこの命が守られ育まれたことを何よりも感謝しよう。その上で、もし神のみこころならもう少し健康をお与えくださいと祈ろう。あなたの今までの人生にも辛いことが何度もあったと思う。でもその度に神はあなたに生きる力と希望をお与えくださった。この神の導きにこれからも信頼しよう。そして、今日お互いにここで出会い共に祈ったことも感謝しよう。私も今日帰ったらこの出会いを日記に書いて神に感謝する。今日はプレゼント交換をしよう。目に見えるプレゼントはないが、それよりももっと素晴らしい祈りのプレゼント交換をしよう。今夜寝る前に私のために小さな祈りをささげてほしい。私も明日のミサであなたのために祈る」。
 こう話してその方の手を取って、今までの感謝と病気の回復を祈りました。そのお隣の方はどんな病気で入院していたのかは知りませんが、きっと心の底で何かの救いを求めていたのでしょう。カーテンの向こうから静かに響いてくる声に耳を傾けながら、自分が求めていたものに出会ったのかもしれません。私はその日、信者さんとだけ祈りのプレゼント交換をしたつもりでしたが、私たちは知らない間にその方にもプレゼントを贈ったようでした。そしてそのプレゼントを受けて「何かすごくいい気持ちになりました」と話した後、「あの男性の方って神父さんですか?」と尋ねたそうです。私自身もそれを聞いて「何かすごくいい気持ちになりました……」。
 2月11日は「世界病者の日」です。





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# by shukugawachurch | 2017-02-01 00:00
                                                       
ペトロ 梅原 彰 神父


 1月1日は神の母聖マリアの祭日です。マリアを神の母と呼ぶのは、イエス・キリストには神性と人性が合体し、交わりあっているからです。神性と人性が一致合体しての人格(ペルソナ)なのです。マリアが生んだのは、神としてのペルソナを持ったキリストです。これがマリアを神の母と呼ぶことのできる理由です。
 神はマリアを通して人間性をとられ(ご托身・受肉)、その人間性は懐妊の瞬間、神の子のペルソナに一致されたのであり、その結果、マリアから誕生したイエス・キリストは神の子のペルソナの真の誕生と言えるのです。
 教会はエフェゾ公会議(431年)を開いて、マリアが神の母であることを信仰箇条として宣言しました。その時以来、マリアが神の母であるという信仰は否定されることなく、信者の心に生き続けてきたのです。私たちはこのような素晴らしい神の母に守られて、信仰の道を力強く歩むことができるのです。大天使ガブリエルから神の母になるという知らせを受けた場面は、フラ・アンジェリコやレオナルド・ダビンチなどの画家によって描かれていますが、皆さんも見たことがあると思います。
 アヴェ・マリアの美しい音楽は私たちの心を清めてくれます。マリアの生涯を思う時、まずこの受胎告知、神のお告げの場面を思いだします。ルカ1章26~38節に詳しく書かれています。マリアが神の子の母に選ばれたという驚くべきメッセージが告げられた時、マリアが戸惑ったのもよくわかります。しかしマリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答えたのです。マリアは大天使の言葉に驚いたことでしょう。どうしてそんなことが? 私はまだ結婚もしていないし、力も経験もない私に何ができるのでしょうか。そのような思い、悩み、戸惑いがマリアの心に迫ってきたことでしょう。しかし、マリアは大天使と言葉を交わしている間にはっきりと悟ったのです。自分にとっては苦しい道になるかもしれないけれど、これは神が私に託される使命である、と。マリアには、神からの語りかけがはっきりとわかったのです。大天使が答えたように、神におできにならないことは何もない。神が私を選んでくださったのなら、私はそれに応えるほかない、と。こうして20歳にもならないマリアが、キリストの母、神の母となられたのです。
 マリアの生涯は数々の悲しみや苦しみを経験して、神に仕える者となられたのです。私たちも、このマリアの強い信仰と愛による奉仕の生き方を学び、マリアを仰ぎ見ながら、この一年をマリアとともに歩んでいきましょう。






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# by shukugawachurch | 2017-01-01 00:00
                                                       
コーナン・ミシェル神父


 日本では、キリスト者がまだとても少ないのに、クリスマスを私たちとともに喜ぶ人がとても多いですね。夙川教会にもごミサに参加する人が溢れかえるようで、とてもありがたいことです。お祝いの雰囲気を味わいたいと思ってこられるのでしょう。

 その人たちをよく迎えられるように、担当者は美しい馬小屋を作ったり、オルガニストと聖歌隊は長い練習に励んだり、侍者の子供たちは役割を覚えたりして、皆の協力で、救い主の誕生を準備するのです。街のクリスマスの華やかさとは違った、静かな救い主の誕生の喜びが、クリスマスキャロルの歌声の中伝わることを願っています。

 さて、この聖堂を建てたシルヴァン・ブスケ主任司祭は、聖人になったばかりの幼きイエズスの聖テレジアのメッセージを熱心に伝えたり、聖テレジアに関する本を書いたりして、夙川の聖堂を聖テレジアに捧げました。そして1943年、深い信仰を表して、日本の教会の殉教者となりました。

 久しぶりに大きな祭壇の後ろのアルコーブに戻ってくるはずの夙川教会の幼きイエズスの聖テレジアは、私たちの準備をご覧になって、きっと喜んでくださっているに違いありません。聖テレジアは、ブスケ神父と同じ宣教師の心でひとりでも多くの人がイエズス様のもとに来ることを執り成してくださるからです。
 
 聖テレジアは私たちにこう語りかけています。「あなた方は、ひとり残らず、私たちの救い主イエズスさまから大事にされています。感謝して喜んで生きなさい。いけないことをしても(ゆるしの秘跡を忘れなしでね!)。あなたは、かわいい大切な存在なのですよ。」

 信仰の恵みをいただいた私たちは身近な人々に「一人ひとりが愛され、この世に生きている」ありがたさを伝えられるような、優しさと温かさを持って、クリスマスを迎えたいと祈っています。






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# by shukugawachurch | 2016-12-01 00:00

ポイントカード

                                                       
ヨセフ 赤波江 豊 神父


 私たちの身近な生活にポイント制というのがあります。例えばある特定の商店で買い物をしたり、施設を利用したりするとポイントカードにポイントをつけてくれて、それがある程度貯まるとそれで買い物ができたり、施設を無料で利用できる制度です。私も財布の中に何枚かポイントカードを持っていますが、やはりポイントが貯まるのは嬉しいものですね。またポイントは知らないうちに貯まっていることがあり、時々店員さんから「お客様ずいぶんポイントが貯まっていますよ」と言われて思わず嬉しくなったことが何度かあります。
 神様もきっと私たちが洗礼を受けた時、私たち一人一人のために天国に「愛のポイントカード」を作ってくれたと思うのですね。確かに私たちは知らず知らずのうちに罪を重ねてしまいます。でも、同時に知らず知らずのうちに善いこともしているのですね。困った人にそっと差しのべた手、悲しむ人と共に流した一滴の涙、落ち込んだ人にかけた小さな励ましの言葉など。でもこのようなことは多くの場合当然のことをしただけで善いことをしたという意識はないし、忘れてしまっていることが多いのですね。でも神様は私たちが忘れてしまった小さな愛の数々にこそしっかりと目を留め、忘れずに愛のポイントをつけてくださっているのですよ。確かに私たちは多くの罪を重ね、ゆるしの秘跡でも忘れてしまった罪のゆるしを願います。しかし、もし神様が私たちの罪ばかりに目を留めておられるのなら、それは私たちの神様ではありません。愛である神様(一ヨハネ 4・7~8)はご自分の似姿として私たち人間を作られました(創世記 1・27)。それならばその神様が私たちの善いところにまず目を留めてくださらないはずがないでしょう。だいたい善には自意識というものがないのですね。自分で善いと思ってしていることにはどこか自己満足があるのではないでしょうか。
 イエスは十字架上で亡くなる前、ご自分を苦しめた人たちの赦しを父なる神に願って「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ 23・34)と祈りました。でも同時に私たちのためにも「父よ、彼らを見捨てないでください。彼らは自分たちがしている小さな愛の業の偉大さを知らないのです」と父なる神に永遠に祈り続けておられると思います。
 今月は諸聖人の月です。私たちは洗礼の時、天国の友人としての聖人の名前、洗礼名をいただきました。きっとその聖人たちは神様と一緒に、私たちが忘れてしまった無数の小さな愛の数々にポイントをつける作業を手伝っているのでしょうね。そして私たちがいつかこの世の務めが終わった時、天使から「君ずいぶんポイントが貯まっているよ」と言われて皆さんの顔が思わず微笑みに満ち溢れることを願っています。




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# by shukugawachurch | 2016-11-01 00:00