人気ブログランキング | 話題のタグを見る

カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch

聖母マリアの被昇天祭

                                                       
ペトロ 梅原 彰 神父
カトリック夙川教会月報(2021年7月・8月号、2021年8月8日発行)
 
 8月15日は終戦記念日です。この日は聖母マリアの被昇天の祭日です。聖母マリアは生涯を終えられた後、体は腐敗することなく復活の恵みにあずかり、心も体も一体となって天国に旅立たれたのです。これは、神の聖母マリアに対する最大の賜物です。これは、12月8日に祝われる聖母マリアの無原罪のもたらす恵みです。
 私たち人間は皆、原罪の罪をもって生まれてきます。聖母マリアは、その原罪をまぬがれ、「無原罪」でお生まれになったのです。それは神の特別な恵みによるものです。神の子イエズスが人間となってこの世に来られるのに相応しい胎(たい)を準備して、マリアさまは原罪をまぬがれたのです。私たちは、この恵みをお受けになったマリアさまを讃美します。マリアさまは原罪がなかったので、罪を犯すこともなく、愛の人として、出会う人々に優しさを与え、生涯全く清く生きられたのです。だからこそ神はマリアさまを天国に全き人間として迎え、マリア様は心も体も一体となって、天国でイエズスとともに喜びのうちに生き、私たちのためにたくさんの恵みを取り次いでくださるのです。
 聖母マリアの被昇天の信仰から、私たちにも大きな希望が湧いてきます。私たちも世の終わりが来て、肉体の復活の恵みにあずかり、公審判の後、清く生きた人は皆、マリアさまと同じように、肉体も天国の栄光にあずかることができるのです。マリアさまの被昇天は、私たちの将来の栄光を受ける前しるしと言えます。
 今日、マリアさまの被昇天祭を祝いながら、私たちもマリアさまと同じ恵みにあずかれますよう祈りましょう。
 1950年11月1日、諸聖人の祝日に、教皇ピオ十二世は、「神の無原罪の御母、終生処女マリアが地上の生活を終えて霊魂と同時に身体も天の栄光に上げられた」と、聖母の被昇天を信仰箇条として宣言されたのです。

カトリック夙川教会のホームページに戻る


# by shukugawachurch | 2021-08-08 00:00
                                                       

カトリック夙川教会月報(5月・6月合併号・2021年5月15日発行)

4月11日に夙川教会に着任されたダニエル神父様にお話しを伺いました
お名前は?〉
 李昇倫(いすんりゅん)ダニエルです

〈お生まれは?〉
 1978年、ソウルで生まれました

〈ご家族は?〉
 両親と、兄と妹の3人きょうだいです

〈召し出しを感じたのは?〉
 いつも教会で遊んだり勉強したりしていたので、自然な流れだと思います

〈司祭になるまでの道〉
 人と会うことが大好きですので、色々な人たちと出会ったそのお陰で司祭の道に導いてもらいました。皆様、よろしくお願いします。

〈司祭としてのモットー〉
 「私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です」(フィリピ4・13)
このみ言葉は私の叙階の時にこのように生きて行きたいとの思いで決めたことです。
それを信じて行くのが私のモットーです。

〈夙川教会のイメージは?〉
 古い (きしむ音がでた)
でも、それほど皆様の信仰が深いと思います

〈夙川教会の信徒に一言〉
 来て、見なさい。(ヨハネ1・46)

【略歴】
1978年10月27日 韓国のソウルで生まれる
1998年 神学校に入学
2007年 司祭叙階
2017年 来日、カトリック堺教会
2019年 カトリック玉造教会

# by shukugawachurch | 2021-05-15 09:00
                                                       
エリック・バウチスタ・デ・グスマン 神父

 主のご復活、おめでとうございます! わたしたちキリスト教徒にとって、主の復活は信仰の中心的な教義です。簡単に言うと、もしイエスが死者の中から復活できなかったならば、今までイエスの仰ったことばや人々の前で行った不思議なわざのすべてが偽りになってしまいます。主の復活によって、イエスが確かに、神の聖者、神の子、救い主、御父に選ばれた者、油を注がれた者、メシア、キリストであることが明らかになりました。
 主の復活はわたしたちの復活の前表(ぜんぴょう)にもなっています。信仰宣言の中で、わたしたちが「からだの復活」と唱えているのは、終わりの日に、死んだわたしたちのからだが分離された魂と再び結ばれ、神の裁きを受けるために、そして、永遠のいのちに与るために復活するということです。この「復活」は福音書に載っているイエスの奇跡による死者のよみがえりと違います。ラザロ、ナインのやもめの息子、ヤイロの娘は確かによみがえりましたが、あくまで、地上の生活の続きをしていたと考えられます。しかし、終わりの日にわたしたちが待ち望んでいる「復活」では、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのです(マルコ12章25節)。天国で、わたしたちは天使たちと聖人たちとともに、喜びのうちに神を終わりなくほめたたえるのです。顔と顔を合わせて、神様と会うことができるのです。これを至福直観といいます。そのとき、「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光あるからだと同じ形に変えてくださるのです」(フィリッピ3章21節)。
 主の復活は終わりの日のことだけをわたしたちに思わせるのではありません。主が復活されたのは日曜日、週の初めの日です。万物の創り主である神は、六日間をかけて、愛と英知をもって、様々なものをお創りになり、最後に、ご自分に似せて、人間を創造され、七日目にお休みになりました。主の日である日曜日は安息日であり、主の復活をお祝いする日でもあります。そのために、わたしたちは教会で集まり、神様の大きな家族として、一つの共同体として、主日ミサに与ります。
 わたしもこの3年間、夙川カトリック教会で、皆さんと一緒に、この貴重な体験をさせていただいたことに対して、心から感謝申し上げます。皆様、本当にありがとうございました! 夙川がどんな教会共同体なのか、わたしも、3年間居て、見て信じました。復活節第2主日からは新天地である梅田ブロック(大阪梅田教会・関目教会)に赴任することになっています。本来であれば、皆様お一人おひとりにご挨拶をしなければいけないのですが、この場をお借りして、お礼とお別れの挨拶とさせていただきます。梅田も関目も近いので、皆様とまたお目にかかる機会があるとわたし自身は確信しております。それでは、神様のお恵みと聖母の取り次ぎがいつも皆様の上にありますように。


# by shukugawachurch | 2021-04-01 09:00

四旬節の心

                                                       
ペトロ 梅原 彰 神父
 今年も2月17日(灰の水曜日)から四旬節に入ります。当日は大斎・小斎日です。四旬節という概念は聖書の中で、特にイエスが荒野に退いた40日の断食と試みの出来事に基づいています。四旬節の典礼は4世紀~5世紀にかけて、一方で復活徹夜祭に行われる入信の秘跡の準備過程、とりわけ直前の準備である洗礼志願期の教話と典礼の充実化に結びつきました。さらにこの時期、回心者の和解式が復活祭直前に行われるようになり、先立つ40日間が公の回心の期間として捉えられ始めました。こうして聖書における40日の意味との関連で、洗礼準備者および回心者とともに共同体全体が、神のことばの傾聴、祈り、反省、断食などに専心する固有な季節の特徴が現れ、実践論としても深められました。ただ、40日の意味をもつこの季節を実際にいつからいつまでにするかという点では、4世紀~5世紀の段階ではまちまちでした。
 古来の断食は実際には正式な食事を日に一度、通常の夕食だけとし、さらに肉、ぶどう酒を控える断食でした。中世にはさらに乳製品や卵類も控えるようになりました。断食は回心、悪魔との闘いのしるしを意味しています。10世紀から、四旬節の開始の水曜日に、灰を公の回心者の頭に置く儀式が始まり、11世紀のローマでは、これが全信者のための式となり、回心行列の儀式と結合しました。
 第二バチカン公会議の典礼憲章は、復活祭の準備としての四旬節の眼目が洗礼の記念および準備、そして回心にあることを再認識し、この理解が教話および信者の生活実践を通して徹底されることを求めました。この趣旨に基づく典礼の改定は、四旬節の古代の成立時の枠組みと特徴を再び明確にすることを意図しています。四旬節の開始は従来通り「灰の水曜日」ですが、終わりが聖木曜日の主の晩さんの夕べのミサとされ、聖なる三日間とは区別されています。四旬節の意味を知り、私たちもこの期間、特に祈り、黙想、断食、愛の実践(貧しい人への寄付)などを通して過ごすよう努めましょう。

(2021年2月14日発行、夙川カトリック教会月報 2月/3月合併号)

カトリック夙川教会のホームページに戻る


# by shukugawachurch | 2021-02-14 08:00
                                                       
エリック・バウチスタ・デ・グスマン 神父
1月1日は新しい年の始まりです
 皆様、新年明けましておめでとうございます! 去年はコロナウイルス感染症のためにわたしたちは色々な面で生活が大変でした。教会も、ミサや行事や活動などは制限されて、信者との交わりを普通に行うことができませんでした。毎日のニュースは感染者の人数ばかりを報道して、いつも感染防止対策を実施するようにと呼び掛けられました。わたしは個人的に2020年をリセットしたい気持ちが一年中にずっとありました。
 しかし、大変な一年間でしたが、神様に感謝すべきものもたくさんあったと思います。コロナの中にもかかわらず、わたしたちの教会共同体には感染者や集団感染(クラスター)もなく、わたしのフィリピンにいる家族も感染から守られたこと、オンライン会議を通じて、日曜学校やオンラインミサも体験できて、コロナ禍ならではの新しい方法で福音宣教に挑戦できたこと、コロナ禍の中で、多くの方々から声を掛けていただいて、様々な形で支援や励ましをいただいたこと、そして、コロナ禍の中で、神様のみ摂理と聖母マリアのご保護がいつもあることです。そのおかげで、新しい年を希望のうちに迎えることができます。
1月1日は神の母聖マリアの祭日です
 1月1日は、12月25日「主の降誕(クリスマス)」の8日目で、教会では降誕祭の8日間の最後の日です。それと同時に、1月1日は新年の最初の日で、新しい年を迎える喜びの日でもあります。神様には過ぎ去った年の一年間で頂いた恵みを心から感謝し、これから過ごす新しい年も同じように、多くの恵みであふれるようお祈りします。教会では、1月1日は「神の母聖マリア」の祭日でもあります。神の子キリストを9か月間、自分の胎内に宿し、ベツレヘムで幼子イエスを生んでくださった聖母マリアをお祝いする日です。新しい年を、マリア様の取り次ぎを願い、皆の健康と安全を御父に祈るのです。
1月1日は世界平和祈願の日です
 教会はさらに、1月1日を「世界平和祈願の日」として定めています。全世界が、これからの一年間平和であるようにと、わたしたちは皆、心を合わせて聖母マリアの取り次ぎを願い、御父に祈ります。対立と争いが無くなり、すべての人の心に平安があるように。
1月1日はコロナのない社会をお祈りする日です
 最後に、すべての人を苦しませてしまったコロナウイルス感染症が、一日も早く終息することを、これからも祈っていきたいと思います。神様の導きにおいて、予防接種(ワクチン)やコロナの薬が多くの人々に効果的であることを祈り、すべての人が安心して、暮らせる日が来ますように。そして、コロナウイルス感染症がわたしたちに教えてくれたことが、これからも、心と頭の中に残り、日々の生活の中に活かすことができることを神様に祈りたいです。わたしたち人間は、皆で力を合わせて、様々な試練を乗り越えられること、弱い存在である人間は神様なしに生きることができないこと、そして、誰をも排除せず、すべてのいのちを大切にし、守ることは、このパンデミックがわたしたちに再び気づかせ、教えてくれたことだと思います。


カトリック夙川教会のホームページに戻る


# by shukugawachurch | 2021-01-01 10:00