人気ブログランキング | 話題のタグを見る

カトリック夙川教会月報 巻頭言


by shukugawachurch
                                                       
ポポン・エマニュエル 神父
4月29日に夙川教会に着任されたポポン・エマニュエル神父様にお話しを伺いました。
〈お名前は?〉
Emmanuel POPPONと申します。日本ではポポン・エマニュエルになると思います。洗礼名はJean-Marieです。聖ジャン=マリ・ヴィアンネから名付けられました。
〈お生まれは?〉
フランスの東部にあるジュラ県のDOLE(ドル)という街で生まれ育ちました。
〈ご家族は?〉
お父さんとお母さんはまだDOLEに住んでいます。兄、姉、弟がいて、わたしは3番目です。
〈召し出しを感じたのは?〉
1998年、18歳の時に「タイタニック」という映画を見た結果として、いつ死ぬのかが分からないということを強く感じました。そこから人生を無駄にしてはいけないと決心して、わたしにとって一番いい道を歩みたかったのです。その道はイエスの福音を信じる喜びを伝えることでした。そのために「神父になる」と思いました。
〈司祭になるまでの道〉
20歳で神学校に入りましたが、神父になったのは32歳の時でした。12年間かかりましたね。いろいろありました。長い話になるのでまた直接聞いてください。
〈司祭としてのモットー〉
決まったモットーはないですね。
〈好きな言葉は?〉
「わたしだ。恐れることはない」
〈夙川教会の信徒に一言〉
「わたしは柔和で謙遜だから」とイエスは言われました。それは聞くためだけの言葉ではなく、イエスに倣ならって、真の喜びを見つけるために実行する言葉です。教会にはきれいな建物といろんな行事があるのがもちろん望ましいことですが、出発点としてはイエスのように柔和で謙遜であるよう、一緒に主イエスから学びましょう。
【略歴】
1979年9月20日 フランスのドルで生まれる
1999年9月 リヨンの神学校に入学
2001年から2003年まで東京のエマウスの家でボランティアをしながら学ぶ
2011年 32歳で司祭叙階
2012年 司祭として来日
2013年 茅ヶ崎教会
2014年 たかとり教会
2017年 住吉教会・神戸中央教会
2022年4月 夙川教会・甲子園教会共同司祭

# by shukugawachurch | 2022-05-29 10:00

過去を振り返る

                                                       
ペトロ 梅原 彰 神父様
 私は司祭叙階後、香里教会で5年助任司祭として働き、その後千里ニュータウン教会で12年、司教館で6年、香里教会で10年、高槻教会で8年、夙川教会で15年9ヶ月の司祭生活を送りました。この度、司祭異動により、ドムス・ガラシアへ移ることになりました。一抹の寂しさを感じます。司祭生活の引退です。
 人は誰しも、生まれる時があり、成長する時があり、亡くなる時があります。私も今年83歳になり、今まで司祭として生きてこられたことを感謝しています。
 私が司祭叙階の秘跡を受けた時、ある方から「司祭になることは難しいが、司祭を続けることはもっと難しい」と言われました。振り返ってみると、私も司祭生活の中で色々な誘惑があり、倒れそうになることもありました。しかしこうして引退を迎えると、神の恵みと多くの方々の祈りと励ましにより司祭職を全うすることができて感謝の気持ちで一杯です。神に感謝するとともに、皆さん方に心よりお礼申し上げます。
 私の至らなさのために心を傷つけたり、躓(つまず)かせたりすることも多々あったと思います。心よりお詫び申し上げます。
 今後は直接宣教司牧することはないと思いますが、せめて祈りを通して、皆さま方に恩返ししたく思います。
 私は子どもの頃、父を5歳の時に亡くしたこともあって、人はなぜ死ぬのだろうか、亡くなった父に会えるのだろうかと色々な疑問を持ちました。そうした時、ある外国人の神父様に出会い、毎週1回、キリストの話を聞き、生きる希望と勇気をいただきました。人は生きるに値することに気づき、大きな励ましを得ることができました。まだ洗礼を受けていなかったにもかかわらず、私も司祭になってキリスト教を知らせたいと思ったのです。
 大阪小神学校に中2の時入学し、東京大神学校において養成を受け、司祭に叙階されたのです。私は司祭になったことを心より感謝しています。皆さんも私のことを忘れないで、私のためにお祈りください。

ペトロ 梅原 彰 神父様ご略歴
1938年5月7日   東大阪市布施生まれ
1965年3月20日   司祭叙階
1965年8月    香里教会助任司祭
1970年5月    千里ニュータウン教会主任司祭
1982年4月    カトリック大阪大司教区事務局
1988年4月    香里教会主任司祭
1998年4月    高槻教会主任司祭
2006年8月    夙川教会主任司祭
2018年4月    夙川教会・甲子園教会主任司祭
2020年4月    夙川教会主任司祭
2022年4月末   ドムスガラシアチャプレン協力司祭

# by shukugawachurch | 2022-04-17 00:00
                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父
 聖家族の祝日の説教で伝えたことを、月報に載せてほしいと多くの方から要請されましたので掲載します。

 幸せな家庭に欠かせない10のこと
1 許しがなければなりません。家庭でさえ許されないのであれば、相手は地球上で許される所がなくなります。
2 理解がなければなりません。家庭はありのままの姿で生きていく所です。お互いの理解が何よりも必要です。
3 会話がなければなりません。会話がないとお互いの繋がりがなくなり、些細なことで誤解を招くことになります。
4 一人だけの空間がなければなりません。せめてトイレにいる時間だけでも邪魔されない、そのような空間が多いほど人柄が柔軟になります。
5 安息が必要です。疲れた体を休ませる環境が家庭になければ、家にいる時間が減ります。
6 認めてあげなければなりません。家庭で認められない人は、外でも認められなくなります。
7 ユーモアがなければなりません。ユーモアは、家族の幸せがあふれる潤滑油の役割をします。
8 大人がいなければなりません。年配者ではなくても言葉と行動に模範になるような大人がいなければなりません。
9 愛がなければなりません。間違いは叱り、よくやったことは褒める両面性の愛がなければなりません。
10 希望がなければなりません。これからもっとうまくいくはずだとの前向きな希望があれば、家庭の価値はさらに高まります。

 幸せな家庭にあってはいけない10のこと
1 非難があってはなりません。家族の間での非難は、難破船のソールに穴を開けたのと同じです。
2 悪口があってはいけません。家庭での悪口はご飯に土をまくようなものです。
3 恨みがあってはなりません。家族の間の恨みは、よく煮た汁に冷たい水を注ぐようなものです。
4 だましがあってはなりません。家族間のごまかしは、幼根を切るようなものです。
5 暴力があってはなりません。家族間の暴力は川の水を濁すことと同じです。
6 意地を張ってはいけません。度がはずれた意地は自分の墓を自ら掘るようなものです。
7 秘密があってはなりません。家族間の秘密は、家庭を破壊する時限爆弾のようなものです。
8 嫉妬があってはなりません。家族間の嫉妬は夜に電灯をつけずに走る車と同じです。
9 偏見があってはなりません。家族に対する偏見は、斧で木を割るようなものです。
10 計算があってはいけません。家族間の計算は壁紙に水を注ぐのと同じです。

 幸せな家庭を作るためには、家庭にあるべきものは愛で、更に大きく育ち、なくすべきものはお互い一つずつ捨てていくことで、皆さんの家庭が、神様の愛があふれる家庭になることをお祈りします。


カトリック夙川教会のホームページに戻る


# by shukugawachurch | 2022-02-01 10:00
                                                     
ペトロ 梅原 彰 神父

 教会は主のご降誕祭の十二日目にイエスのご公現祭をお祝いします。私はクリスマスに受洗できなかったので、一人、主のご公現祭に受洗しました。イエスはイスラエル人の救い主だけではなく、あらゆる国民、民族、すなわち全人類の救い主としてこの世に来てくださったのです。アダムが原罪の罪を犯して、神と人との間に溝ができ、神のみ手が差し伸べられない限り、私たちは神の家族に迎え入れられないのです。しかし、神は人を愛し、ひとり子イエスを、この世に救い主として送ってくださったのです。にもかかわらず、ユダヤ人の羊飼いを除いて、ユダヤ人は誰もイエスを拝みに行きませんでした。このことは大変不思議なことです。しかしそれにも増して不思議なのは、異邦人の東の国の占星術の学者たちが、聖書のことも詳しく知らないのに、メシアが生まれたことを朧(おぼろ)げに心の中で感じ、その招きに応えて、確かなことを知らないままに、何日間もの長い旅路に出発したのです。やっとエルサレムに着いた学者たちは、ユダヤ人の王が生まれたのですから、皆が喜んでいると思ったのですが、誰一人としてメシアの誕生を喜んでいません。びっくりもし、がっかりもしながら星の示してくれる処まで行きました。やっと救い主の前に平伏した時、言葉で表すことのできないほどの素晴らしい喜びと慰めを感じながらこの赤ちゃんは神様から送られたひとり子だと認め、信じ、礼拝しました。東の国の占星術の学者たちが不思議な星の導きによってイエスに出会ったように、私たちの人生においても、いろいろな人との出会い、本や音楽、芸術など、様々な摂理によってキリストに出会うことができるのです。ある人は神父やシスターとの出会いによってキリストに出会い、信仰に導かれます。ある人は音楽と出会いキリスト者となるのです。
 かつて私が若い司祭であった時、一人の青年が教会を訪ね、「神父さん、グレゴリオ聖歌を聞かせてください。私はグレゴリオ聖歌に興味があります」。当時、私の持っていたグレゴリオ聖歌のレコードを彼と一緒に聞き、それがきっかけで彼はキリスト教信仰を学び、後に受洗の恵みにあずかりました。神は本当にいろいろな方法で、いろいろな手段を使って、ご自分の方へ導いてくださっているのです。


# by shukugawachurch | 2022-01-01 09:00

初心

                                                       
ダニエル 李 昇倫 神父
 皆さん!! 初心(しょしん)を覚えていますか? 新しい年が明けて、一年を良く過ごすため自ら念押しをした初心。新しい学校に入学してこれから共にする友達を見ながら持った初心。就職して新しい職場に出勤した日の朝、鏡の前でときめきながら立っていた自分自身の顔を見て持った初心。まだ覚えていますか?
 この世に生まれ、私の指を握っていた小さな赤ちゃんの温もりを感じながら持った新しい人生?命?に対する初心。恐れもありましたがときめきがもっと大きかった洗礼式(秘跡)の時、神様の前で持った?誓った?初心。今朝目覚めながら新しい一日を与えてくださった神様に感謝して持った初心。皆さんは覚えていますか?
 私たちは毎瞬間、全てのところ(席)で初心を持ちます。しかし、その初心を覚え続けることは決して生易しいことではありません。私たちが歩んで行く人生という道は、真っ直ぐに、そして正しく伸びている平地だけではありません。時には高低差が激しいでこぼこな道も、また近づきたくない茨の道も、そして思ったより大回りするようになる(遠回りさせる)くねくねと曲がった道もあります。
 しかし、私たちが人生という海の上で迷子になってしまった時、私たちの道を照らしてくださる灯台、つまり、あらゆる出発点で自ら決めたその初心を思い出せば(記憶すれば)、私たちはいつでも最初(初め、元)に戻ることができます。
 私の知り合いの中に、自分自身の初心を今までただ一瞬も忘れず(完全に)守って来られた方がおられます。その初心のため蔑視され、時には漫罵(まんば)され、また無視され、殴られたこともあります。しかし、自分の初心を忘れず、いつもその場で私たちを待ってくださいます。もしかすると、街の派手やかな灯りに隠され見ることのできなかったあの方のお姿、楽しいキャロルに遮られ聞くことのできなかったあの方のみ声 …。
今度のクリスマスはあの方のお姿とみ声に自分の目を開き、耳を傾けたらどうかと思います。2022回目で変わることのない初心を持って、もうすぐ私たちのところに来られるあの方のため、各自の心に小さな飼い葉桶を置く席を備えてみたらどうかと思います。たまにはあなたを忘れてしまう私たちにもかかわらず、相変わらずそういう風な私たちを気遣ってくださるあの方の初心に感謝を捧げます。
 主の嬉しいご降誕おめでとうございます。


カトリック夙川教会のホームページに戻る


# by shukugawachurch | 2021-12-01 09:00